和尚のひとりごと№1212「聖光上人御法語後遍十九」

和尚のひとりごと№1212「聖光上人御法語後遍十九」

念仏三昧(ねんぶつざんまい)とは本願(ほんがん)、本見仏(もとけんぶつ)を以て所期(しょご)と為すがゆえに、口に名号(みょうごう)を称え、必ず仏(ほとけ)を見たてまつらんと大誓願(だいせいがん)を起す。是れ則ち不離仏(ふりぶつ)・値遇仏(ちぐうぶつ)の義なり。彼(か)の真位(しんに)の菩薩の浄仏国土(じょうぶっこくど)の時の不離仏・値遇仏は此れは是れ菩薩深位(ぼさつじんに)の念仏也。凡夫(ぼんぶ)の行人(ぎょうにん)は仏名を称念して、或いは見仏を期(ご)し、或いは護念(ごねん)を期し、或いは来迎(らいこう)を期し、或いは往生を期す。之に依りて人能(よ)く仏を念ずれば、仏還りて念じたもうの故に、既に冥(みょう)に護持を得ることあり。
即見真金功徳身(そくけんしんこんくどくしん)の故にまた現身(げんしん)に仏を見たてまつる。一念乗華到仏会(いちねんじょうけとうぶつえ)の故にまた当来の勝利あり。
しかのみならず、阿弥陀経の中の如きは六方諸仏の護念あり。 是れ則も不離仏・値遇仏の義なり。此れは是れ凡夫浅位(ぼんぶせんに)の念仏なり。

 

念仏三昧は見仏

念仏三昧とはこれ仏の本願であり、もともとは見仏をもってその目的とするが故に、口には名号を称えながら、必ずや御仏を見奉るのだとの大いなる誓願を起こすべし。これこそが不離仏(ふりぶつ)・知遇仏(ちぐうぶつ)の義である。彼の真位(しんに)の菩薩が建てる浄仏国土(じょうぶっこくど)の誓願における不離仏・知遇仏の義とは、これは菩薩の深き修道の境地における念仏に他ならない。凡夫である行者はと言えば仏の御名を称念し、ある時は見仏を目的とし、ある時は諸仏諸菩薩による護念を目的とし、ある時は臨終の際の来迎を目的とし、ある時は往生を目的としている。これによって「人がよく仏を念ずれば、仏もまたその人を念じてくださる」からこそ、すでにここに目に見えぬ不可思議なる加護を得ているのである。
「まことの金色に輝く素晴らしき仏身を即(そく)見奉る」が故に、この身のままに御仏を見奉る。「一念により蓮台に乗じ御仏会するところへ至る」が故に、やがて来る次生において極めて優れた功徳を得る事がある。そればかりではなく、『阿弥陀経』の中には六方諸仏による護念が説かれている。これがすなわち不離仏・知遇仏の義を示している。これこそが凡夫の浅き修道における念仏に他ならない。