和尚のひとりごと№1198「聖光上人御法語後遍五」

和尚のひとりごと№1198「聖光上人御法語後遍五」

 

臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)と申すは、幡(はた)を懸(か)け火を燃やし、よき名香(めいこう)を焼(た)き、本尊を東に向け懸(か)けまいらせ、善知識(ぜんちしき)をかたわらにすえて、一一(いちいち)に善知識の教えをたがえぬなり。
魚鳥(うおとり)にらき酒(さけ)かようのくさき物をば病人のほとりに近づけず、日ごろ、をしかる妻子もしは夫(おっと)もしは孫かようの愛執(あいしゅう)深きものをば、その貌形(かたち)をだに見せず、音をも聞かせず、善知識小音(しょうおん)に念仏を申して声を静かならしめて、鐘(かね)うちて事しずかに持(たも)ち成(な)して、ただ浄士の法門(ほうもん)貴く目出(めで)たからんを説き聞かすべし。
世間の田畠(たはた)、世の中のよき事、悪(あし)き事をば露塵(つゆちり)ばかりも、病人に聞かすべからず。もし病人この世間の事を聞きつれば、心留(とど)まりて永(なが)く往生の心を失いて生死(しょうじ)に留まりて、悪道に堕(だ)するなり。故に是れを臨終行儀と云うなり。

 

臨終行儀

臨終行儀というのは、幡(はた)をかけて日をともし、よき名香をたき、本尊が東に向くようにお掛けし、善知識を脇に座らせて、逐一善知識の教える通りにすることである。
魚・鳥獣、ニラや酒のようなくさい匂いを発するものを病人のそばに近づけず、妻子や夫や、孫のように日頃より愛着の強い対象は、その姿も目に入れさせず、その音をも耳に入れさせぬようにして、善知識は小声にて念仏を称えてその声静かなままに、鐘を打ちながら静かな様子を保ち、ただ浄土の教えが有難くも素晴らしいことを説き示すことである。
世間で話題になる田畠の如き、世間における善いこと、悪いことなどについては、微塵なりとも病人の耳に入れぬようにせよ。もし病人がこれらの世間の事柄を耳にしてしまえば、心はこちらに留まり永く往生への志を失ってしまい、生死輪廻の世界に留まって、三(さん)悪道(なくどう)に堕ちてしまうことになる。
故にこれを臨終行儀と名づけている。