和尚のひとりごと№1197「聖光上人御法語後遍四」

和尚のひとりごと№1197「聖光上人御法語後遍四」

 

尋ねて云う。別時念仏(べつじねんぶつ)の機(き)とはいかなる機ぞや。答う。念仏は是れ見仏三昧(けんぶつざんまい)を期(ご)と為(な)す。しかるに遅く見え給うが故に、疾(と)く見奉らんが為に別時念仏を用うるなり。疾く仏を見奉るは是れ見仏三味の頓機(とんき)の為に之を説くなり。 頓機之を受くるなり。尋常(じんじょう)の機は漸機(ぜんき)なり。
また尋ねて云う。尋常の念仏者も別時の念仏を兼ねて之を行ずべきか。
答う。爾(しか)るべきなり。
尋ねて云う。兼(か)ぬる意いかん。
答う。頓頓(とんとん)に仏を見奉らんが為なり。急急(きゅうきゅう)に法が成就(じょうじゅ)する故なり。
また尋ねて云う。 此の義の如くならば、尋常の念仏者は仏をえ見奉らぬか。
答う。仏を見奉るなり。然りといえども、別時の機に対すれば漸機の見仏(けんぶつ)なり。無想(むそう)になる時、仏を見奉るなり。尋常の行者(ぎょうじゃ)も念仏し居たる程に、無想(むそう)に心が成りたる時、仏の見え給うなり。 有想(うそう)の時は見奉らざるなり。

 

別時念仏の機

ここに尋ねて問う。別時念仏にふさわしい能力とはいかなる能力であるか。
答える。念仏はこれ畢竟(ひっきょう)見仏(けんぶつ)三昧(ざんまい)を目的としている。しかしながら仏を見仏し奉る事が遅くなるが故に、速やかに仏を見奉らんとして念仏を用いるのである。速やかに仏を見奉ることができるということは、これ見仏三昧における頓機(とんき)であり、このような能力を具える者に対してこの見仏三昧を説くのである。頓機の持ち主もまたこれを受け入れることになる。通常の能力の持ち主は漸機(ぜんき)である。
ではさらに問う。常日頃より実践している念仏行者もまたこの別時念仏を修めるべきであろうか。
答える。その通りである。
尋ねて申す。平生の念仏と別時とを兼修する意はいかなるものであるか。
答える。できる限り即座に仏を見奉る為である。大至急に教えの実践を完成させる為である。
さらに尋ねて申す。その考えでは平生の念仏で仏を見奉ることは出来ぬのか。
答える。仏を見奉ることになる。そうはいっても、別時の念仏によるものと比較すれば時間をかけて仏を見奉る漸機の見仏となる。それでも想いなき境地にまで至ったときには、仏を見奉る事になる。平生の念仏者であっても念仏を実践する中で、想いなき境地に心が至ったとき、仏を見奉ることになるのである。いまだ想いが心にわだかまる段階では見仏はかなわない。

頓機
速やか即座に目的とする境地へと至る能力。

漸機
しかるべき過程を踏まえて段階的に目的とする境地に至る能力。