和尚のひとりごとNo1099「法然上人一代記 28」

28.勢観房源智

また常に法然上人のそばにお仕えし、そのを受けたのは上人です。父は、平家滅亡後世に「平孫狩り」が横行する中、難を逃れ青蓮院ののもとに預けられ、源智13歳、法然上人63歳のときにそのに入ります。法然上人生前より旧勢力である南都、比叡により弾圧は続きましたが、法然上人が流罪を許され京都に帰ってよりは12年にわたり仕えました。法然上人は源智をたいへん可愛がり、最初の草庵であった大谷の禅房(現在の知恩院勢至堂)の本尊や経典などを源智に譲ったり、加茂の功徳院(現在の大
本山百万遍知恩寺)を任されました。建暦二年、法然上人の臨終の2日前には念仏の奥義を記した「」を授けられます。法然上人没後、同年十二月には師法然に対する報恩謝徳のため三尺の阿弥陀如来像を造り、胎内に造立願文と約四万六千人以上の結縁者のを納めしました。天台宗の延暦寺衆徒による弾圧(の法難)で荒廃した大谷の坊舎を再興し法然の廟所を守ったのもこの源智上人であります。のち知恩院二世に数えられるようになりました。

 

阿弥陀如来像