和尚のひとりごとNo1098「法然上人一代記 27」

27.聖光房弁長の入門

建久八年(一一九七年)、範宴の訪問があった同じ頃、一人の僧が鎮西(ちんぜい)(福岡県)より上洛(じょうらく)し法然上人のもとを訪ねます。名を聖光房(しょうこうぼう)弁長(べんちょう)といい、京都の比叡山で学んだあと故郷に戻り、学問寺油山(あぶらやま)において一山を任される学頭にまで昇りつめた学僧でありました。ところが異母弟三明房(さんみょうぼう)の突然の死に遭遇し、世の無常を実感し次第に浄土教に心惹かれるようになりました。
その後皆の推挙により明星寺(みょうじょうじ)五重塔再建の勧進(かんじん)となりましたが、本尊制作のため上洛し仏師康慶(こうけい)に依頼することになりました。本尊が完成するまでの数か月、東山吉水に法然上人を訪ね疑義を正し教えを受ける中で、法然上人の仏教者としての姿に心打たれ仏法本来の姿に目覚めたと伝えられています。
九州と京を往復すること二度、その間に法然上人より『選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)』を付与されました。九州一円に法然上人より受け継いだ念仏の教えを広め、のちには筑後に善導寺を創建、鎮西国師(ちんぜいこくし)と諡(おくりな)されました。浄土宗の第二祖であります。