和尚のひとりごとNo1125「法然上人一代記 53」

53.大谷の禅房へ

当時天台宗の青(しょう)蓮院(れんいん)門跡(もんぜき)は慈円が守っていました。九条兼実とは血を分けた兄弟である慈円(慈鎮)は天台座主を4度務めた高僧で、学徳誉あり持戒堅固な法然上人を慕っておりました。その法然上人が帰洛後住まわんとされていた吉水の庵がかつての面影なく荒廃していたことに心を痛め、自らの青蓮院のお堂を開放してそこに上人を迎えることになりました。
これが晩年法然上人が過ごされた大谷の禅房であります。
上人帰洛後年が明けた建暦二年(一二一二)頃より、つとに法然上人の体調が芳しくなくなったようでした。しかし不思議なことに、ここ数年来弱ってきていた視覚や聴覚については、かえってこの頃になると明瞭になり若いころに戻ったようであったと伝えられています。そうした中でもお念仏の声は高らかに途絶えることなく、ただひたすらに彼の極楽浄土への往生を願うようになっておりました。

勢至堂(もと大谷の禅房)