和尚のひとりごとNo1123「法然上人一代記 51」

51.勝尾寺に身を寄せる

結果的には法然上人の流罪は半年足らずで許されました。最後まで後鳥羽上皇による上人の赦免を願い出ていた九条兼実公の力も中々及びませんでしたが、上皇建立の最勝四天王院の供養の際に大赦があり、ついに上人の赦免となったのでした。

四国地方で教化を受けた念仏衆たちは皆別れを惜しみ、また京からの往きの道中念仏の教えを受けた者たちの中には見事往生を遂げた者も多かったと伝えられています。法然上人はそのような者たちの菩提を懇ろに弔いながら京へ帰還したのでした。ところがすぐには都に入ることを許されず、大阪箕面勝尾寺(かつおじ)西谷に身を寄せることになりました。承元元年(一二〇七)のことです。

法然上人が滞在された 勝尾寺 二階堂