和尚のひとりごとNo1113「法然上人一代記 42」

42.兼実の請いで『選択集』を著わす

法然上人を戒師として出家した兼実公は僧名を円証と称しました。そして兼実の請いにより『選択本願念仏集』を著わすことになります。時に法然上人66歳、建久九年春三月のことでした。
この前年頃から上人は体調を崩されることがあり、万が一を慮(おもんばか)っての兼実の願いでありました。兼実は法然上人の没後、教えを奉ずる者たちにとっての正しき指針を求めたのです。
『選択集』は様々な経典の要文を引用しながら、浄土の御教えの正しさを証明し、その安心を記した書であり、浄土宗の根本聖典となりました。
「今はからざる仰せを蒙って、辞退することも出来ず、念仏の要文を集めて、念仏の要義を述べる」
「今図(はか)らざるに仰せを蒙(こうむ)る。辞謝するに地ところ無し。仍(よ)って今憖(なまじい)に念仏の要文を集め、剰(あまつさ)え念仏の要義を述ぶ」
『選択集』の末尾にはこのように記されています。
また兼実の帰依をきっかけとして、法然上人は宮中の参上する機会も増えて参ります。また高倉上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇などにも授戒し、宮中にも上人に帰依し、そのお念仏の教えに入信する者多数あったと伝えられています。