和尚のひとりごとNo1086「法然上人一代記 16」

 

16.選択の道

 

この一文は浄土宗の開宗(かいしゅう)の御文(ごもん)と呼ばれます。これによって法然上人御自身が救われる道を見いだされ、それこそが仏教の修行や学問と縁遠(えんどお)かった市井(いちい)の人々に差し伸べられた仏の慈悲であると確信されたからです。浄土宗の始まりであります。
確かに比叡山や南都、京都では実に様々な知識人たちと出会い、教えを頂いた。それにそれらは各々(おのおの)仏の御教(みおし)えに基づく大切なものでした。しかしながら他ならぬ法然上人ご自身にとって最も有難(ありがた)かったのは、仏の本願によって必ず救われるというこの善導大師の説示であったのです。
「もはや様々な教えを学び修(しゅ)する必要はない。仏によって選ばれたこの念仏にこそ徹するようにしよう」
このように決意されました。
もはやこの選択(せんちゃく)の念仏こそが為(な)すべきことの全てでありました。