和尚のひとりごと№1187「聖光上人御法語前遍二十五」

和尚のひとりごと№1187「聖光上人御法語前遍二十五」

 

助行(じょぎょう)にまた四(よ)つあり。一つには三部経を読誦(どくじゅ)す。此れは経を読まんには浄土三部経を読んで念仏を助くべし。 三部経を読むは念仏を助くる要業(ようごう)と成る。浄土の三部経ならぬ余経(よきょう)を読むは念仏の要と成らず。故に浄土三部経を読むを念仏の助業(じょごう)と云うなり。
二つには阿弥陀仏を観念(かんねん)す。此れは阿弥陀仏の極楽(ごくらく)を観念するに、念仏を助くる要と成る。余(よ)の観(かん)は念仏の要と成らず。 故に阿弥陀仏を観念すれば、念仏の助業と成ると云うなり。
三つには阿弥陀仏を礼拝す。 此れは阿弥陀仏を礼拝し奉れば念仏の助業と成るなり。余の仏を礼(らい)し奉(たてまつ)れば念仏の助業と成らず、故に阿弥陀仏を礼拝し奉れば念仏の助業と成ると云うなり。
四つには阿弥陀仏を讃嘆(さんだん)し供養(くよう)す。 此れは阿弥陀仏を讃嘆供養(さんだんくよう)し奉れば念仏の助業と成り、余の仏を讃嘆供養し奉れば念仏の助業と成らず。故に一脈(ひとすじ)に阿弥陀仏を供養し奉るを以て念仏の助業と云うなり。
上件(かみくだん)の四行(しぎょう)これを念仏の助業と云うなり。

念仏の助業

助業(じょごう)にまた四種ある。
一つは浄土三部経を読誦する事。この意は三部経を読むことで念仏を助けるようにすべし。三部経を読誦することは念仏を助ける要(かなめ)となる大切な行(おこない)となる。浄土の三部経以外の経を読誦することは念仏にとって要の行とはならない。この故に浄土三部経を読誦する事を念仏の助業という。
二つには阿弥陀仏を観察し念ずる事。この意は阿弥陀仏の極楽浄土を観念することは念仏を助ける要となる大切な行となる。それ以外を対象とした観察は念仏にとって要の行とはならない。この故に阿弥陀仏を観察し念ずる事を念仏の助業という。
三つには阿弥陀仏を礼拝する事。この意は阿弥陀仏を礼拝することは念仏を助ける要となる大切な行となる。それ以外の仏を礼拝することは念仏にとって要の行とはならない。この故に阿弥陀仏を礼拝する事を念仏の助業という。
四つには阿弥陀仏を讃嘆供養する事。この意は阿弥陀仏を讃嘆供養することは念仏を助ける要となる大切な行となる。それ以外の仏を讃嘆供養することは念仏にとって要の行とはならない。この故にただひたすらに阿弥陀一仏(あみだいちぶつ)を讃嘆供養する事を念仏の助業という。
これら四種の正行(しょうぎょう)を念仏の助業というのである。