和尚のひとりごと№1185「聖光上人御法語前遍二十三」

和尚のひとりごと№1185「聖光上人御法語前遍二十三」

読誦正行(どくじゅしょうぎょう)の事。広く通じては三部経を読誦すべし。別(べつ)しては略(りゃく)して阿弥陀経を読誦すべし。之に依(よ)りて上人(しょうにん)在生(ざいしょう)の時、阿弥陀経を長日(ぢょうじつ)に三巻(さんがん)これを誦(じゅ)しませり。
観察正行(かんざつしょうぎょう)の事。行者(ぎょうじゃ)の根機(こんき)に依りて観門(かんもん)の広略(こうりゃく)を行ずべし。もし観経に依らば十三観を用(もち)うべし。もし観念法門(かんねんほうもん)に依らば総想別想(そうぞうべつそう)の二観(にかん)を用うべし。もし慧心先徳(えしんせんとく)の往生要集に依らば略して三種(さんじゅ)の観の中の一観を以て之を用うべし。その意趣(いしゅ)、行者の志にまかす。
礼拝正行(らいはいしょうぎょう)の事。礼拝に上中下あり。行者の根機に依るべし。但し多分は下根(げこん)の礼(らい)これを用うべし。昔上人(しょうにん)在世の御時(おんとき)、予(よ)に示して云わく、宇治の辺(ほとり)に住せる行者あり、坐(い)ながら礼拝を修(しゅ)をして、終(つい)に以て往生を得(え)おわんぬと。
口称正行(くしょうしょうぎょう)の事。心には往生の念(おも)いを志し口には南無阿弥陀仏を称す。
讃歎供養正行(さんだんくようしょうぎょう)の事。もしは二行(にぎょう)と為すべきか。一つには讃歎正行、二つには供養正行。
凡そ五種正行是(かく)の如(ごと)し。但し一人(ひとり)して具(つぶ)さに五種を行じ、もしは一種二種もしは三種四種(ししゅ)、行者の根機に依るべし。

 

五種正行

読誦正行(どくじゅしょうぎょう)の事。
広くとれば浄土三部経を読誦すべし。別して略す時は阿弥陀経を読誦すべし。これによって法然上人は在世のとき、阿弥陀経を日に三回読誦されていた。
観察正行(かんざつしょうぎょう)の事。
行者の素質によって観察対象の広略を分けよ。もし『観無量寿経』によるのであれば十三観を用いるべし。もし『観念法門』によるのであれば総相・別相の二観を用いるべし。もし慧心(えしん)先徳(せんとく)の『往生要集』によるのであれば略して三種の観察から一観を用いるべし。この選択は行者の志(こころざし)次第である。
礼拝正行(らいはいしょうぎょう)の事。
礼拝には上中下の別がある。行者の素質によってこれを用いるべし。ただし多くの者は下根の礼拝を用いるであろう。昔上人在世の時に、私に示されて仰った。宇治のほとりに住む行者があった。坐しながらにして礼拝を実践してついに往生を遂げる事を得たのであると。
口称正行(くしょうしょうぎょう)の事。
心に往生への想いを志し口では南無阿弥陀佛と称えるべし。
讃嘆供養正行(さんだんくようしょうぎょう)の事。
もしくは二行とすべきであるか。一つに讃歎正行、二つに供養正行。
およそ五種正行については以上の如しである。ただし一人の行者が各々全てを修めるもよし、一種のみ、二種のみ、三種のみ、四種のみ、行者の素質によるべし。

浄土三部経
もっぱら阿弥陀仏の西方極楽浄土を説く三つの経典。『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』。

三回読誦
呉音、和読み(読み下し)、唐音の三つの仕方で読誦されていたという事。

『観無量寿経』の十三観
阿弥陀仏の仏身や浄土のありさまを心に思い浮かべる十三種の観法。

『観念法門』の総相・別相
諸仏に共通するありようと、阿弥陀仏に特徴的なありよう。

『往生要集』の三種の観察
恵心僧都源信の『往生要集』観察門に説かれる三種の観察法。「別相観」「総相観」「雑略観」。

坐しながらにして礼拝を実践して
礼拝に三種あるうち坐したまま行う下品の礼拝。