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和尚のひとりごと
浄土宗・徳清山 証誠院/宗教法人玉圓寺

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No.6 真田幸村

今回のひとりごとはいつもと趣向を変えまして歴史の話をしたいと思います。初回は徳川家康に『日本一の兵(つわもの)』と言わしめた真田信繁(のぶしげ)の話です。

 真田信繁と聞いて誰だろう?と、思う方もいるかも知れません。そう言う方には真田幸村と言ったほうがわかっていただけると思います。しかし本名は信繁であり、世間に広まっている幸村とは江戸時代の講談などの影響であるとされています。信繁直筆の書状を始め、信繁が生きていた同時代の史料で『幸村』の名が使われているものは存在しません。従って歴史上の人物の名としては『信繁』が正しいとされます。ちなみにこの名は武田信玄の実弟である武田信繁の名を是非にと父の真田昌幸が信繁の息子に頼み込んで使わせてもらった名である。

 『幸村』の由来については、『幸』は真田家の通字(日本では代々継承され、先祖代々名に特定の文字を入れる習慣の事。代表的な所では、徳川家の『家』、織田家の『信』等がある)であり、『村』は信繁の子孫が仕えた伊達家当主の伊達綱村からの由来。または徳川家において妖刀とされる村正(家康の父、祖父が村正作の刀で殺害され、嫡男が謀反の疑いで死罪になった際、介錯に使われた刀も同作であった為徳川家では村正を忌み嫌うようになった。その理由から大阪冬、夏の陣で大阪方は好んで村正作の刀を使用したと言われる。)に由来している等の説がある。

 『幸村』という名は信繁の死後百年以内に広まっているため父昌幸の死後通字を継承して実際に『幸村』と名乗ったのではないかと推測もあるが、現在のところ『幸村』という名が記された史料が見つかっておらず立証は不可能である。ちなみに大阪冬の陣と夏の陣の半ばに叔父、兄、妹に宛てた手紙にも『信繁』と記されている。
 今回は名前についてだけでしたが、今後も時々息抜きとして色々な歴史の裏話等について書いていければと思います。

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