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和尚のひとりごと
浄土宗・徳清山 証誠院/宗教法人玉圓寺

法然上人

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No.1 法然上人幼少期

宗祖 法然上人は、長承二年(一一三三)四月七日、岡山県(美作)久米の南条稲岡という所で、お誕生になられました。
奇しくも、大聖釈尊、御生誕の前日に当たります。
法然上人は初名を勢至丸といいます。父は漆間時国といい、母は秦氏の出身であります。漆間氏は久米郡の土着豪族で、時国は押領使として久米郡の治安に当たっていました。母の出自である秦氏も、久米郡の在地豪族でありました。 幼少の時の重要な事件として、次の二つがあります。

(一)九歳の時、稲岡庄の預所、明石定明の夜襲にあい、それがもとで、父の時国はなくなります。深手を負った時国は、勢至丸を枕元に呼び、「汝さらに会稽の耻をおもい敵人を恨むことはなかれ。これ偏に先世の宿業也。もし遺恨をむすばばそのあだ世々につきかたかるべし。しかし、はやく俗をのがれ家を出て我が菩提をとぶらひ、みずからが解脱を求めんには」と遺言したといいます。

(二)天養二年(一一四五)法然上人十三歳の出家。美作の故郷を後にして比叡山延暦寺に登ります。血を流し、相手を殺さないでは結着がつけられない武士の身分に執着はなかったのでしょう。むしろ眼前に示された悲劇が、人間性に基づくことを知った法然上人は父の遺言を一生の支えとして、次第に仏教の世界に踏み込んでいくことになります。

以上の事件は、対立抗争を超えた世界こそ、人が最後に安らいでゆく世界であり、人間の真の立脚地であることを指示しています。法然上人がこの世界、浄土を万人に開示する宿命にあったということを物語っています。

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