和尚のひとりごと№2311「鎌倉法語集」118
和尚のひとりごと№2311「鎌倉法語集」118

善根(ぜんこん)は真如(しんにょ)より起(お)こり、真如(しんにょ)に帰(き)する事(こと)、火焰(かえん)の空(そら)に向(むか)いて、何(なん)万(まん)里(り)ということもしらず立(たち)昇(のぼ)り、水流(すいりゅう)の海(うみ)に趣(おもむ)きて、法爾(ほうに)として止(と)まらぬがごとく、善根(ぜんこん)には華(け)報(ほう)果(か)報(ほう)とて、華(け)報(ほう)は人天(にんてん)に生(うま)れても、果(か)報(ほう)の方(ほう)は滅(めっ)せずして仏因(ぶついん)となり、真如(しんにょ)に帰(き)する習(なら)うなり。
善根が悟りの世界より起こり悟りの世界に帰る事は、炎が空に向かってどこまでも立ち昇り、川などの水流が海に注いで、それぞれが持つ性質に従ってその働きが止まらないようなものであり、良い行いはこの世で受ける報いと成仏に繋がる報いとがあります。この世で受ける報いは人や天の世界で受けることでひとまずは結実しますが、成仏に繋がる報いは消滅せずに仏となる原因となって悟りの世界に入ると経典に言い伝えられています。
華(け)報(ほう)、果(か)報(ほう)
善悪の行為に対してこの世で受ける報いのことで、果報に先立って受けるもの。華報は善悪の行為の報いである苦しみや楽しみを現世で受けることで、果報はそれらを来世で受けること。
※大本山光明寺さまより発行されている『鎌倉法語集 良忠上人のお言葉』より再掲引用させていただいた内容となります。
