和尚のひとりごと№2220「浄土宗月訓カレンダー11月の言葉」

和尚のひとりごと№2220「見えないけれど大切なもの」

江戸時代の大名、浅野長晟(あさのながあきら)<1586-1632>という方の家臣に原勘兵衛可永(はらかんべいよしなが)という武士がいました。浅野長晟が藩主として移った安芸の国、今の広島県に可永も付き従っていきましたが重い病気にかかってしまわれました。可永には跡継ぎ、子どもがいませんでしたので、甲斐の国、今の山梨県で僧侶になっていた弟、可政(よしまさ)を呼び寄せ、養子として迎え入れました。可永はやがて亡くなり、可政は還俗(げんぞく)して武士になり原勘兵衛可政(はらかんべいよしまさ)として原家を継ぐ事になりました。しかし、可政は元僧侶であっただけに信心深く、会う人ごとに、「死後にはあの世に必ず行き、地獄極楽が必ずある。善き事をした者は極楽へ、悪しき者は地獄へ落ちる」といつも口にし、刀を提げていても人を傷つけるという事は決してしなかったそうです。可政の言葉を聞いた人はたいがい、「いやぁそんなものは、お経や、お説教の中だけで説かれるのであって本当にある筈が無い」とか、「あるかもしれないが、まだ誰も自分の目で確かめた事ではないので信じられない」と言い、可政の話を素直に信じて聞く人はほとんどありませんでした。可政はそれが残念で仕方ありませんでした。

やがて時は過ぎ、可政も歳をとりました。病の床に就き、自らの死を悟った時に、妻子や友人を枕元に呼び寄せました。そして、「拙者もあの世に行く日が近づいた。地獄、極楽があるかをはっきりさせたいと思う。自分の目で地獄、極楽を見たら、確かめたという証拠に、五十日以内に墓石の下から木の芽を生やす。もしも、芽が出てこなかったら、地獄、極楽はなかったということだ。しかし、もし芽が出たならば、私や御先祖様を懇ろに供養してお勤めして欲しい」と言い残し、可政は亡くなっていかれました。可政は海雲寺というお寺の墓地に葬られ、七日七日の中陰回向のお勤めもそれなりに勤められていかれました。そして五七日、三十五日が過ぎた時、可政の言葉通り、墓石の下から青い木の芽が出てきたのです。やがてその新芽はぐんぐん大きくなり大木に育ち、人々はこの木を「地獄極楽の木」と呼んで、後の世まで大事に育てられたそうです。これは広島市西区にある海雲寺というお寺に伝わる伝説です。しかし残念な事にその「地獄極楽の木」は1945年、昭和二十年八月六日、原爆で焼けてしまったそうです。

嘘をついたり悪い事をしたりすると死んだ後、恐ろしい苦しみを受ける地獄に落ちる。幼い頃そのような事を聞かされた事はないでしょうか。決して脅しではなく、昔から説かれている「信仰」への入り口です。浄土の御教えは六道輪廻が有ることが前提です。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天という六つの世界を生まれ変わり死に変わりして今、人の世に生まれさせていただいたと頂戴します。六つの世界はいずれも苦しみのある世界です。その六道から抜け出して西方極楽浄土に「往生(おうじょう)」させていただくというのが浄土教の御教えです。今は目に見て、手で触れることの出来ない仏の世界ですが、見えないけれど有ると信じて生きていくことが心の支えになるのです。共々に信仰を心の支えに今を生ききって参りましょう。