和尚のひとりごと№2190「鎌倉法語集」

和尚のひとりごと№2190「鎌倉法語集」

 

 

【良忠上人ならびに『鎌倉法語集』について】

これからご紹介する『鎌倉法語集(かまくらほうごしゅう)』(別名『然阿上人法語(ねんなしょうにんほうご))とは、浄土宗三祖の良忠上人の著作より、純阿隆円(じゅんありゅうえん)上人(一七五四~一八三四)が在家信者向けで分かりやすい文章を和文体にて集めた法語集です。

良忠上人(光明寺蔵)

良忠上人は正治元年(一一九九)から弘安一〇年(一二八七)に在世、鎌倉時代に活躍された方です。石見国(いわみのくに)三隅庄(みすみのしょう)(現在の島根県浜田市)に生まれ、一六歳で出家受戒後は寺門・山門の天台教学ならびに天台密教を学びました。のち九州にて二祖聖光上人より浄土宗義を伝授され、故郷安芸地方を教化しました。真言密教を学んだのち、信濃善光寺を経て、下総にて千葉氏の外護を受け、鎌倉在住時代を経て各宗典を完成させました。当時の鎌倉は日蓮上人の辻説法や長楽寺義(ちょうらくじぎ)西山義(せいざんぎ)といった法然門流の異流の活動もあり、それらに対抗しながらの布教活動でありました。建治二年には京都の弟子の招請に応じて上洛し、西山義をはじめ長楽寺義・九品寺義(くぼんじぎ)などの異流と論争を重ね、最終的には文永年間(一二六四—一二七五)に赤築地(あかつじ)(現在の京都市東山区清水)において源智上人の弟子である信慧上人と四八日間の談義を行い、両者の教義に相違ないことを確認して、紫野門徒との合流を果たしたと伝えられています。良忠上人の確立した鎮西流はその弟子たちにより六派に分かれ関東の三派(尊観上人の名越派(なごえは)、性心上人の藤田派(ふじたは)、良暁上人の白旗派(しらはたは))、京都三派(然空上人の一条派(いちじょうは)、道光上人の三条派(さんじょうは)、慈心の木幡派(こばたは))として伝えられ、現在の浄土宗は鎮西白旗派(ちんぜいしらはたは)の流れを汲んでいます。数多くの経論に注釈を施して浄土宗鎮西流の教学を大成した良忠上人は、然阿弥陀仏(然阿)または記主禅師とも尊称されています。

参考 web浄土宗大辞典、新浄土宗辞典

 

これから掲載する『鎌倉法語集』は、良忠上人に縁深い大本山光明寺さまより発行されている『鎌倉法語集 良忠上人のお言葉』より再掲引用させていただいた内容となります。大恩報謝ならびに改めて多くの皆さまに三祖のお言葉に触れて頂ければとの願いよりご紹介させていただきたいと思います。

大本山鎌倉光明寺