和尚のひとりごと№2189「浄土宗月訓カレンダー10月の言葉」

和尚のひとりごと№21589「右は仏 左は私 合わす掌」

右仏 左衆生(しゅじょう)と合わす手の 内ぞゆかしき 南無のひと声

両手を胸前で合わせる合掌は、仏教誕生の地であるインドが発祥です。古代インドで行われていた相手を敬うお姿で、これが仏教にも取り入れられたと言われています。また素手で食べ物を食べる習慣のあるインドでは、食べ物を掴む右手が清浄の手であり、反対に左手は不浄とされました。そこから右手を聖なる知恵のある仏様の手、左手は邪な心をもつ私たち衆生(しゅじょう)を表すとされました。両手を合わせる事によって、仏様と衆生が合わさった姿、成仏(じょうぶつ)を表すとも考えられました。常平生はいつでも仏様に見守られ、仏様と共に歩むお姿となります。浄土宗では南無阿弥陀佛とお念仏を申せば阿弥陀様が影の如くに寄り添ってくださっていると頂戴します。
お釈迦様が弟子たちと歩いていた時に、弟子の一人が大地に落ちていた小枝の刺で足を怪我してしまいました。当時の修行僧は裸足です。あまり人の通らない茂みには、瓦礫や小石、小枝が沢山落ちていますから、かすり傷などはしょっちゅうです。怪我をした一人の弟子が棘を抜きながらお釈迦様に尋ねました。「お釈迦様、この大地を歩いていると本当に沢山の小石や小枝が落ちている事が分かります。時にはその石に躓いたり、尖った枝で怪我をします。どうしたら怪我なく歩む事が出来るでしょうか?」するとお釈迦様は、「確かによく気をつけていても、目に見えない程の小さな棘があると足を傷つけられる。どうしたら怪我なく歩む事が出来ると思うか?」と、別の弟子に聞き返しました。するともう一人の弟子は、「お釈迦様、目に見える瓦礫や石は気をつけて避ける事が出来ましょう。しかし目に見えない小さな小枝や棘は知らず知らずのうちに足を傷つけていきます。それならば、この大地全体を鹿の革で覆い尽くせば、皆、怪我する事なく歩む事が出来るのではないでしょうか?」と言いました。するとお釈迦様は、「確かにこの大地全体を鹿の革で覆い尽くせば、怪我をする事なく安心して歩く事が出来る。しかし、この大地全てを鹿の革で覆い尽くす事は到底不可能な事である。それならば自分の足に鹿の革を巻き付けて、この大地を歩めばどうであろうか。それならば自分の足の大きさの鹿革さえあれば十分であろうし、また自分の歩む場所にたとえ瓦礫や小枝が落ちていても怪我なく過ごせるであろう。」と説かれました。
 この話は一つの喩えで、鹿革というのはお釈迦様の御教え、仏法の事です。浄土宗では南無阿弥陀佛のお念仏の御教えです。その教えは全ての人々が救われていく素晴らしい教えですが、全ての人々を導いていく事は難しい事です。あたかもこの大地全体に鹿革を敷く様なものです。けれどもお念仏の御教えに出遇った人、一人一人がお念仏申して生き切っていく事は可能です。喩えば自分の足に鹿革を巻きつけて歩む姿です。お念仏を申せば阿弥陀様が常に見守ってくださっているのです。合掌の姿の様に仏様と共に歩ませて頂いていると思い定めて、現世も来世も安穏に過ごさせていただきましょう。

う。