和尚のひとりごとNo1177「浄土宗月訓カレンダー12月の言葉」

和尚のひとりごとNo1177「自分自身に微笑みを」

中国の諺(ことわざ)に、「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」という言葉があります。不運に思えた事が幸運になったり、幸運だった事が不運になったりと、幸不幸は簡単に判断し難いと言う意味です。その語源は、中国の北の塞(とりで)に占いの得意な翁(おきな)<男の老人>が住んでいました。それで塞翁(さいおう)と呼ばれていました。その翁は一頭の立派な馬を飼っていたのですが、或る朝起きてみるとその馬が逃げて居なくなっていました。近所の人たちが、「気の毒な事だ。」と翁の所へ来て心配するのですが翁は、「別にこれが災いかどうかは分からない。心配する事じゃないよ。」と言って平然としていました。すると一週間後、逃げた馬が雌馬を一頭連れて帰ってきたのです。今度は皆が、「良かった。良かった。」と口々に喜びの言葉を翁にかけましたが塞翁は、「別に喜ぶ事ではない。これが良いのかどうかは分からないよ。」と言って嬉しくもない様子でした。或る日、雌馬に喜んだ翁の息子が、その雌馬に乗って調教していたのですが落馬して足の骨を折ってしまわれました。近所の人たちが、「大丈夫か?気の毒に、可哀想に。」とお見舞いに来るのですが塞翁は、「気の毒な事かどうかは分からないよ。悲しい事かどうかは分からない。」と、その時も平然と対応しておりました。やがて隣国で戦争が始まり、翁の住む村から大勢の若者たちが戦争に借り出されてしまいました。しかしこの翁の息子は、落馬して足を骨折しているので兵隊に取られずに済んだと言います。戦争の為、村の多くの若者たちは亡くなってしまったのですが、この塞翁の息子さんは嫁さんをもらって幸せに過ごしたそうです。以上の話が「人間万事塞翁が馬」のいわれです。
 世の中、何がどうなっていくのかは誰にも分からないものです。一見不幸そうに見えても、それが幸福に繋がる時もあります。また幸せに見えても災いに転じる事もあります。何が不幸か、何が幸せかは誰にも分からないのです。安心と心配の繰り返し。これがこの世の中です。
 信仰の心と言うのは他人の事をどうこう言うのではありません。先ずは自分自身の事。自分の足元をしっかりと見つめ直すと言う事です。安心と心配の繰り返しの世の中、どこでどうなるかは分からない世の中でありながら、今、人として生まれさせていただいた。そして確かな事はこの自分に「死」がいつかは必ずやってくるという事です。「死」という縁を誰もが受けていかねばならない世の中をどう生き切るかは、その人それぞれの心持ちで変わって参ります。先ずは自分自身の信仰としてお念佛の御教えを心の支えにしていただき、共々に支え合いながら微笑んで過ごせる暮らしをさせていただきましょう。