和尚のひとりごとNo1147「浄土宗月訓カレンダー11月の言葉」

和尚のひとりごとNo1147「じんわり伝わるあたたかみ」

一月三舟(いちげつさんしゅう)という言葉があります。天に浮かぶ月は一つでも海を行き交う舟の動きによって月の見え方が異なるという意味です。仏の教えも元々は一つであるのに、受け止め方次第で様々な意味に解釈されるという喩えとして、『大方広仏華厳経随疏演義鈔(だいほうこうぶつけごんぎょうずいしょえんぎしょう)』<澄観(ちょうかん)著>という書物に説かれている言葉です。『華厳経(けごんぎょう)』というお経の内容を詳しく説明された書物です。止まっている舟から眺める月は止まって見えます。北へ向かって進んでいる舟から見ると月も同じように北へ進んで行きます。南へ行く舟からですと月も南へ動いていきます。舟上にいる人によって月の動きが変わるように、仏教の教えも受け取り方は様々です。
 宇治の平等院を建立した藤原道長<966〜1028>は月を見て、
『この世をば 我が世と思う 望月(もちづき)の 欠けたることも なしと思えば』
と詠まれました。太政大臣(だじょうだいじん)として、当時の社会を思うままに動かしておられたお方です。この世は我が思いのままだと歌ったものです。そうかと思うと同じ月を見て、
  『月見れば 千々(ちぢ)にものこそ 悲しけれ 
            我が身一つの 秋にあらねど』 <大江千里(おおえのちさと)平安時代の歌人>
と詠んだ人もいます。月を見るとあれこれと考え、キリもなく物事が悲しく思われる。私一人だけに訪れた秋ではないのだけれど、という意味です。秋になり肌寒く感じる季節、日の当たる時間の短さもあいまって寂しく感じる時もあります。その気持ちを詠まれたのでしょう。このように同じ月を見ながら、喜んだ人も居れば悲しんだ人も居ます。
 皆に親しまれているキティちゃん(ハローキティ)というキャラクターがあります。サンリオという会社が創られた猫をモチーフに擬人化したキャラクターです。そのキティちゃんには口が描かれていません。目や耳や鼻はきちんと描かれているのに口はないのです。実はそこには、「優しさや思いやりは口(言葉)で言うのではなく、態度で示しましょう!」と言うメッセージが込められているそうです。また口を描いてしまうと特定の表情に限定されてしまうからとも言われています。にっこり笑った口だと笑顔になりますが、への字口だと怒っていたり、悲しんでいたりと限定的な表情になってしまいます。見る人のその時々の感情に寄り添えるように、あえて口は描かなかったと言われるのです。私たちは楽しい時ばかりではありません。辛く悲しい時もあれば、腹の立つ時もあります。そんな時、側にキティちゃんがいれば同じような感情で、楽しんでくれたり悲しんでくれたりするのです。自分に寄り添ってくれている気持ちになれるようなデザインにされているのです。見る人の心によって解釈は様々に変化しますが、そこには“じんわり伝わるあたたかみ”があるのです。共々に誠の優しさを忘れず過ごして参りましょう。