和尚のひとりごとNo1118「法然上人一代記 46」

46.さらなる法難

この一件は京に帰った後鳥羽上皇の逆鱗に触れました。あろうことか上皇留守中に御付きの女房たちが勝手に出家してしまったのですから。
上皇の側近たちの中にも法然上人門下につき好意的な者ばかりではなかったであろうことは容易に想像できます。
様々な風聞が流れる中、上皇は住蓮と安楽の処刑を言い渡す事になります。
建永二年二月、安楽は京都六条河原(ろくじょうがわら)で、住蓮は近江国馬渕(まぶち)(滋賀県近江八幡市)で斬罪となり、法然上人たちは流罪の刑に処されました。法然上人は還俗させられ藤井(ふじい)元彦(もとひこ)を名のらされ、遠く土佐の国に流されることになりました。これを建永(けんえい)の法難と呼んでいます。