和尚のひとりごとNo1081「法然上人一代記 11」

11.古都奈良にて名僧を訪ねる
さて粟生(あお)の里をあとにし淀川の境(さかい)を渡って古の古都奈良へ入った法然上人、当時名僧、知識人とうたわれていた僧たちを訪ねました。
当時比叡山と双璧(そうへき)をなした奈良仏教、三論(さんろん)、法相(ほっそう)、倶舎(くしゃ)、律(りつ)、成実(じょうじつ)、華厳(けごん)などの教義が盛んに研究されていました。
法然上人はこの地でそれぞれの名僧を訪ね、さらには京都にまで足を伸ばして自らの解脱への道、さらには末法の衆生を救う法門を見極めんとされました。中でも興福寺に法相宗の蔵俊(ぞうしゅん)、醍醐寺に三論宗の寛雅(かんが)、仁和寺に華厳宗の慶雅(けいが)には懇(ねんご)ろに教えを受け、皆異口同音に法然上人の学識に舌を巻くばかりであったと伝えられます。
法然上人が南都遊学を終え比叡山へ帰った正確な年代は伝えられていませんが、相応の期間を学習にあてられたと思われます