和尚のひとりごと№2293「浄土宗月訓カレンダー3月の言葉」

和尚のひとりごと№2293「春のさえずり身を軽く」

 

 浄土宗総本山知恩院の御影堂から集会堂、そこから大方丈、小方丈に至る廊下を全て合わせると、全長五百五十メートルの長さになります。その廊下を歩くと鴬の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとすればする程、余計に音が出ます。「鴬張りの廊下」または、「忍び返し」とも呼ばれています。昔は曲者の侵入を知る為の警報装置の役割を担っていました。廊下の裏側、床下の部分に巧みな細工が施されていて音がするそうです。その音が鴬の鳴き声、「ホーホケキョ」、「ほーけきょ」、「法聞けよ」と聞こえる事から、仏法を聞く思いがすると言われています。
 『阿弥陀経』の中には、西方極楽浄土に住む六種類の鳥が説かれています。白鵠(びゃっこく)、孔雀(くじゃく)、鸚鵡(おうむ)、舎利(しゃり)、迦稜頻伽(かりょうびんが)、共命之鳥(ぐみょうしちょう)と示されて、仏法僧の三宝(さんぼう)を奏でてお浄土を美しく厳かに飾ってくれています。
 白鵠は白鳥もしくは鶴の様な真っ白な鳥の一種と言われ、透き通る様な真っ白なお姿で、何の汚れも無い仏の国の純白さ、清らかさを表します。孔雀は今この世でも見る事が出来る孔雀です。美しく綺麗な羽で醜いものの全く無いお浄土の美しさを体で示しています。ですから白鵠も孔雀も目で見る、視覚的な美しさでお浄土を厳かに飾っているのです。
 鸚鵡と舎利と迦稜頻伽は聴覚でもって、耳に聞こえる尊さでお浄土を厳かに飾っています。舎利とは九官鳥の一種で、鸚鵡同様、人の言葉を話す鳥です。ですから鸚鵡と舎利は私たちに解る様に美しい声で法を説いて下さるのです。迦稜頻伽は妙音鳥(みょうおんちょう)とも言い、その鳴き声はとても優雅で美しいとされています。雀やカッコウの種類と言われますが、この迦稜頻伽は音楽の神様として讃えられる、楽器を持った人面鳥です。お顔は人の顔で姿が鳥の体をした神様として描かれているのです。鸚鵡、舎利、迦稜頻伽は耳に聞こえる美しい音色でもって、法を説いて下さるのです。
 共命之鳥は仏様の心を現すと言われ、その体は一つの胴体に二つの頭を持つという不思議な姿をした鳥です。二つの頭、それぞれが別々の心を持っています。お経様の中に説かれる共命之鳥に関するお話です。カルダとウパカルダという名前をもつ二つの頭の共命之鳥が居りました。ウパカルダは、自分が眠っている間にカルダが美味しい木の実をお腹一杯食べる為に、自分が起きた時には満腹でごちそうを食べる事が出来ません。胴体は一つですから仕方がありません。いつもこれを不満に思っていたウパカルダは、ある時、毒の木の実を見つけました。「この毒の木の実を食べれば同じ体を持つカルダは死んでしまうだろう」と、いつも食事を独り占めする邪魔者カルダはいなくなると考えたウパカルダです。そこでカルダが眠っている間にこの毒の木の実を食べたのです。案の定、カルダは苦しんで死んでしまいます。しかし、体は一つですから、当然このウパカルダも命尽きてしまいました。何とも愚かなお話ですが、このお話は、お互いが生かし生かされている「命のつながり」を現していると言われます。お互いがお互いを生かし生かし合っていくべき姿を説いています。困っている時には助けてあげて、困った時には助けてもらう。共に生きていく姿が共命之鳥です。
 『阿弥陀経』に説かれるこれらの鳥の全ては阿弥陀仏様の変化(へんげ)の所作(しょさ)です。阿弥陀様が姿を変えて、鳥のお姿を現して、或は鳥の声を借りて我々に法を説いて下さっているのです。春が近づき鳥のさえずりを聞いた時に、『阿弥陀経』のお話を思い出していただき、共に手を取り合って過ごして参りましょう。