和尚のひとりごと№2222「鎌倉法語集」31

和尚のひとりごと№2222「鎌倉法語集」31

 

第七:助けたまえ阿弥陀仏

また云(い)わく、先(せん)師(し)鎮西云(い)わく、故(こ)上(しょう)人(にん)吉水先(ま)名(みょう)号(ごう)唱(とな)うれば、名(みょう)号(ごう)徳(とく)として、妄(もう)念(ねん)自(みずか)らやみ、願(がん)心(しん)自(おのずか)生(しょう)ずるなり。何(なに)にいわんや本(ほん)願(がん)元(がん)意(い)は、乱(らん)心(しん)やめがたき者(もの)化(け)せんがためなり。妄(もう)念(ねん)のやめがたきにつけても、一向(いっこう)本(ほん)願(がん)をあおぐべし。散(さん)乱(らん)静(しず)めがたきにも一向(いっこう)名(みょう)号(ごう)唱(とな)うべきなりと、仰(おお)せられき。

 

【訳】

またこうも説かれています。聖光上人はこう説かれています。「法然上人が仰いました。まず阿弥陀仏の御名を称えると、その名が具える功徳として、迷いの心がなくなり、極楽往生を願う気持ちが自然と沸いて来るのです。言うまでもなく阿弥陀仏が本願を立てた目的は、乱れた心を抑えられない人を教え導こうとするためです。迷いの心を止められない状態でも、ただひたすらに本願を信じるべきです。乱れた心を静められない状態でも、ただひたすらに阿弥陀仏の名を称えるべきです」と。

 

 

※大本山光明寺さまより発行されている『鎌倉法語集 良忠上人のお言葉』より再掲引用させていただいた内容となります。