和尚のひとりごと№2195「鎌倉法語集」5

和尚のひとりごと№2195「鎌倉法語集」5

 

 

 

第二:至誠心①

(ひとつ)に至誠心(しじょうしん)とは真実(しんじつ)心(こころ)という事(こと)なり。およそ人(ひと)心(こころ)真(しん)あり偽(ぎ)あり。君臣(くんしん)夫婦(ふうふ)、みなそのこころ有(あ)るがごとく、往生(おうじょう)欣(ねが)心(こころ)までもこれ二(ふた)つあり。その偽(いつわ)れるを虚仮心(こけしん)と名づく。内(うち)名利(みょうり)心(こころ)住(じゅう)しながら外(そと)往生(おうじょう)願(ねが)由(よし)をもてなして、三業(さんごう)精進(しょうじん)人(ひと)よといわるるを虚仮心(こけしん)というなり。この人(ひと)往生(おうじょう)すべからざるなり。実(じつ)あるをば至誠心(しじょうしん)名(な)づく。

良忠上人(光明寺蔵)

【訳】

第一に至誠心というのは真実の心です。大抵の人には誠実な心と不誠実な心があります。君主と臣下、夫と妻、みなそれぞれの立場で誠実な心と不誠実な心があるように、往生を願う心にも誠実な心と不誠実な心の二つがあります。そのうち、不誠実な心の方を虚仮心と名付けます。内心では名声と利益を求めながら、うわべには往生を願う素振りを見せて、「あの人は動作・言葉・意思の三業すべてを整え仏道修行に励む人だ」と言われている人の心を虚仮心と言います。この人は往生できないでしょう。誠実さを具えた心を至誠心と名づけます。

 

三業(さんごう)

人の行為に三種あり、身業(しんごう)(身体で起こす行為)・口業(くごう)(発話による行為)・意業(いごう)(心に思う行為)のこと

 

※大本山光明寺さまより発行されている『鎌倉法語集 良忠上人のお言葉』より再掲引用させていただいた内容となります。