和尚のひとりごと№2067「浄土宗月訓カレンダー6月の言葉」
和尚のひとりごと№2067「自利利他」
自らの利益を得る事を「自利(じり)」と言い、他人を利益(りやく)する事を「利他(りた)」と言います。この両方を兼ね備える事が大乗仏教の理想です。もう少し易しく言うと、「利」というのは「幸せ」や「喜び」です。ですから、「自利」とは自分が幸せになり喜びを戴く行いであり、「利他」とは他人を喜ばせ幸せにする事です。
龍樹(りゅうじゅ)菩薩(ぼさつ)<2世紀のインド仏教僧>は、「他を利するは即ちこれ自らを利するなり」と説かれました。<『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』>他人を幸せにする事が、自分を幸せにする事になるという意味です。この事は商売をされる方や、経営の世界でも尊ばれているようです。経営の神様と称された松下幸之助氏<1894〜1989年>は、「商売は、売る方も買う方も双方が喜び、双方が適正な利益を交換するという形でやらないと長続きしません」と言われました。<『商売心得帳』>「売る方が喜ぶ」というのが「自利」であり、「買う方が喜ぶ」というのが「利他」に当たります。自利と利他の両方が満たされていないと長続きはしないし、お互いの為にならないと言われたのです。自分ばかりが儲けようとしていてはいけません。他人を儲けさせようとする精神が、結局自分の儲けとして還ってくるのです。幸せも、自分だけが幸せになろうとしても幸せになれません。他の人を幸せにすれば自分も幸せになってくるものです。この事を分かり易く教えられた話があります。
ある人が、地獄を見物に行きました。「地獄だからさぞ貧しい食事だろう」と思っていると、机には山海の珍味が沢山並べられていました。ところがそこに集まってきた地獄の亡者たちは、骨と皮ばかりで痩せ細っています。どうした事かと亡者たちの食事風景を見てみると、箸が三尺三寸もあるのです。約1メートルです。腕よりも長いので、箸でつかんだ料理が口に入れられません。腕を伸ばしても箸先が口に届かないのです。又、料理をつかんだまま途方に暮れている者もいます。地獄の亡者たちは、美味しい料理を目の前にして、一口も食べる事が出来ずガリガリに痩せているのでした。これは恐ろしい所だと思い、次は極楽に行ってみました。すると、地獄と全く同じ様な食卓でした。用意されているのも地獄と同じ、三尺三寸の箸です。ところが極楽の住人は皆ふくよかで、満足そうに笑っています。極楽の人々は、長い箸で料理をつかむと、向かいの人に「はい、どうぞ」と与えているのでした。与えられた方は、「ありがとう、あなたもどうぞ」と与え返します。地獄の亡者たちは、自分が食べる事ばかり考えているから、一口も食べる事が出来ずに痩せていきます。それに対して極楽に往生した人たちは、自分が食べる事よりも、他人に食べさせる事を考えているので自分も食べる事が出来ているのです。地獄と極楽を見物した人は、「地獄へ堕ちる人と極楽へ生まれる人は、心がけが正反対だ」とこの事を教訓にしました。
以上は当に「自利利他」の事を分かり易く説かれた喩え話だと思います。私たちも先ずは出来る範囲で他の人の幸せを願い共に笑顔で過ごしてまいりましょう。