和尚のひとりごと№1631「浄土宗月訓カレンダー3月の言葉」

和尚のひとりごと№1631「未来を信じ 今日を励む」

 

 お寺のお堂の中には、版木(ばんぎ)というものが掛けてあったりします。朝起きる時や、法要の始まり等を皆に知らせる為にこの版木を叩き鳴らします。版木には、「生死事大(しょうじじだい)無常迅速(むじょうじんそく)各宜醒覚(かくぎせいかく)慎勿放逸(しんもつほういつ)」と書かれています。浄土宗では、「警覚偈(きょうかくげ)」と言います。中国禅宗の第六祖・慧能(えのう)禅師<638〜713年>の残した言葉として伝えられています。<『六祖檀経(ろくそだんきょう)』>読み下すと、「生死は事大にして、無常迅速なれば、各々(おのおの)宜しく醒覚して、慎んで放逸なること勿(なか)れ」となります。「生死は仏道を歩む一大事である。時は無常にして迅速に過ぎ去っていくから、各人はそのことに目覚めて精進し、無為に過ごしてはならない」という意味です。
 『徒然草』という書物に面白いお話が御座います。或る人が自分の子供に、「お前は非常に頭が良いので出家して仏の道を歩みなさい。仏教を学んで僧侶となり、法を説いて生活していけばよい」と教え諭しました。その子供は親に言われた通り仏道を歩む決心を致します。しかし、「僧侶となってお経を説く説経師として招かれる時もある。けれども大寺に入らない限り輿(こし)や牛車(ぎっしゃ)がないであろう。そうすると馬に乗って自ら向かわないといけない。そんな時、落馬でもしようものなら皆の笑い者になってしまう。先ずは馬に乗る練習から始めよう」と、早速乗馬の練習を始めました。また、「法要が終わった後、施主の人が食事と共にお酒も勧めてくるであろう。そんな時あまりに無芸だと施主に対して失礼に当たる。何か芸事を身に付けておくのも大事だ」と思いがいたり、詩歌を習い始めました。乗馬と歌に日々明け暮れていたのでやがて腕も上がり、素人離れするほど上達して参りました。なお一層上手くなろうと更に練習に励みます。そんな日暮らしで過ごしているうちに、仏教の勉強をする暇もなく月日を重ね、歳を取ってやがて死んでしまいました。(『徒然草』第一八八段)
 何とも滑稽なお話です。この子供が乗馬や歌詠みの道を歩んでいたのならば、それは素晴らしい生き方と言えるかもしれません。しかし、本来の目的は出家をし、仏道を歩み、法を説いていく事でした。歩むべき道を迂回し、人生はまだ長いと怠けているとやがて死を迎えて終わってしまいます。先の『徒然草』を書いた吉田兼好<1283〜1352年頃>は、「一時の怠りと緩みは、やがてそのまま一生の懈怠(けたい)、怠けになってしまう」と記しています。どの様に我が人生を生き、どの様に死を迎えるのかを元気な時に関心をもち、向き合って生きることが仏教でもあります。自分の歩むべき道をしっかりと思い定め、今日ある命を生ききって参りましょう。