和尚のひとりごと№1223「聖光上人御法語後遍三十」

和尚のひとりごと№1223「聖光上人御法語後遍三十」

 

然りといえども、上人往生の後には、その義を水火に諍(あらそ)い、その論を蘭菊に致して、還(かえ)って念仏の行を失って、空しく浄土の業を廃す。 悲しきかなや、悲しきかなや。何(いかん)が為(せ)ん、何が為ん。 ここに貧道齡(ひんどうよわい)すでに七旬に及んで、余命(よめい)また幾(いく)くならず。 悩(なげ)かずんばあるべからず。愁(うれ)えずば空しく止みなん。これに依って、肥州(ひしゅう)白川河(しらかわがわ)の辺り、往生院の内において、二十有(ゆう)の衆徒を結び、四十八の日夜を限って別時の浄業を修し、如法の念仏を勤(つと)む。
この間(あいだ)において、徒(いたず)らに称名の行を失(しっ)することを悩き、空し正行の勤めを廃しぬることを悲しんで、かつうは然師法思の為、念仏興隆の為に、弟子が昔(むかし)の聞(きき)に任(まか)せ、沙門が相伝に依って、これを録して、留めて向後(きょうこう)に贈る。 仍(よっ)て末代の疑いを決せんが為、未来の證(しょう)に備(そな)えんが為に、手印を以て證(しょう)と為して、筆記する所左の如し。

 

先師報恩と念仏興隆

しかしながら、法然上人滅後は、その教えをめぐって火と水の如くあらそい、その議論を蘭と菊の優劣を競うが如くにして、かえって念仏の実践を失って、空しくも浄土の教えにおける業(おこない)を止めてしまっている。悲しむべきことではないか、何とも悲しむべきことではないか。如何様(いかよう)にすればよいのか、如何様にすればよいのか。今貧(ひん)道(どう)すでに齢(よわい)七十歳に至り、余命(よめい)も幾(いく)何(ばく)もない身となった。嘆かずにはおられず、憂いを抱かずには生きることさえ立ち行かぬ。このようなことより、肥州(ひしゅう)は白川河のほとりの往生院にて、二十名あまりの同志と結縁し、四十八日間の昼夜に限り、別時の浄業(じょうごう)を修め、如法に念仏を勤めた。この間、ある者は意味もなく称名の実践を中止する事に悩み、ある者は空しくも正しき行(おこない)を止めてしまうような事に悲しみ、一方では法然上人への報恩のため、また一方では念仏の興隆のために、弟子たる私が昔聴いたとおりに、沙門たる私が受け継いだ事によって、これを記録し留めた上で後の世に贈ろうと思う。重ねて末代の疑義を決着せんがため、未来に証明となるべく備えるために、朱印をもって証拠として、筆録する内容は次の如くである。

※これに続き『末代念仏授手印』が著された。