和尚のひとりごと№1203「聖光上人御法語後遍十」

和尚のひとりごと№1202「聖光上人御法語後遍十」

善導の釈(しゃく)を見るに、尋常の行儀を正(しょう)とす。別時の行儀は傍行(ぼうぎょう)なり。その故は別時の行儀(ぎょうぎ)は難行(なんぎょう)なり。尋常の行儀は易行(いぎょう)なり。
難行とは衣服(えぶく)は清浄(しょうじょう)の衣服なり、身(み)は清浄の身なり、食(じき)は長斎(ちょうさい)なり。道場に入りて余言(よごん)無く念仏申し、睡眠(すいめん)せずして念仏申す。皆是れ難行なり。
尋常の行儀は浄不浄を簡ばず、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)を簡(えら)ばず、時処諸縁(じしょしょえん)を論ぜず、故に易行なり。故に易行を以て正と為す。

 

尋常と別時

善導大師の注釈を拝見するに、尋常行儀を本義とし、別時行儀は傍(かたわ)らで修める行であるとされているようである。何故ならば別時行儀というのは難行だからである。尋常行儀は易行である。
難行というのは、衣服は清浄なものとし、身も浄め、食事も作法に則っていなければならない。道場に入ってからは他言無用にて念仏にいそしみ、眠る間もなく念仏を称える。これらは皆難行である。
尋常行儀は浄・不浄を問わず、行住坐臥を選ばず、時と場所と有縁無縁の人などもこだわる必要がないからこそ易行なのである。この故に易行をもって本義となすのである。