和尚のひとりごと№1201「聖光上人御法語後遍八」

和尚のひとりごと№1201「聖光上人御法語後遍八」

善知識(ぜんちしき)は極楽浄土の法門(ほうもん)を能(よ)く知り、阿弥陀仏の本願の功能(くうのう)を能く知り、病者の病(やまい)の軽重浅深(きょうじゅうせんじん)を能く知れる者なり。之に依りて善知識(ぜんちしき)案じて云う、是の人の命は一日の内には死なじ。また一日の内、辰(たつ)の時に値(あ)いたる人ならば、申酉(さるとり)の時にも死すべし。夜に入らば死すべし。半時一時(はんときいつとき)にも死すべしと思わんには、浄土の法門を説き聞かせ、念仏の功能(くうのう)を説き聞かすべし。
もしただ今と思わん時は、善知識、病者の二つの手を取り合掌(がっしょう)し、叉(しゃ)して西方(さいほう)をおがませ、只今、仏来り給うと思えと教え、万事を抛(なげう)ちて南無阿弥陀佛と申せと教えて、念仏一返に金(かね)一つ、又ただ今ならずして、今一時二時(いつときふたとき)もありと思わんには、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の教主(きょうしゅ)阿弥陀仏は大願(だいがん)を発(おこ)し給えり、もし我(われ)、極楽に生まれんと思わば、南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛と十返申せと仰せられたり。

 

臨終の念仏

善知識(ぜんぢしき)とは、念仏の法門についてよく知り、阿弥陀仏の本願による効能(こうのう)をよく知り、病人の犯された病の軽重(けいちょう)や浅深(せんじん)についてよくわきまえている者のことである。この事により善知識は配慮した上でこのように言う。「この方の寿命(いのち)はまだ一日はもつであろう」。あるいは一日のうちで辰(たつ)の時(午前八時前後)に見立てる病人がいるときには「申(さる)酉(とり)の頃(午後三時から七時くらいの間)には尽きるであろう」「夜半になれば尽きるであろう」「一時間か二時間のうちには尽きるだろう」と診立てて、浄土の法門について説き聞かせ、念仏の効能を説き聞かせることだ。
もしいよいよ最後だと思う時には、善知識は病人の両手をとって合掌させ、叉手(しゃしゅ)にて西方を拝ませて、今こそ御仏の来迎があるのだと思うように教え、すべてをなげうって南無阿弥陀佛と称えよと教えて、念仏一声にあわせて鉦(かね)を打て。またまだ二時間ないし四時間ほどは持ちそうだと判断する場合は「西方極楽浄土の阿弥陀仏は大いなる誓願を建てられたのだ。もしわたくし、極楽へ生まれようと思うならば、南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛と称えよ」と説き示すことである。