和尚のひとりごと№2420「浄土宗月訓カレンダー9月の言葉」

和尚のひとりごと№2420「継続 持続 相続」

 

 

私たちの暮らしは、続けることによって見えてくるものがあります。一日だけでは気づけなかった心の変化も、月日を重ねる中で、静かに私たちを支える力となっていきます。
例えば、悲しい出来事に遭い、「何故こんな目に遭うのか」「どうして私だけが悲しい思いをしなければならないのか」と悲しみと同時に怒りを感じて自暴自棄になってしまう時もあります。また、個人の楽しみだけに目を奪われて自分勝手な生き方になり、周りの人々へのご恩や感謝を忘れてしまう時もあります。それらはその時のみの心の感情だけで生きてしまうからです。目先だけの悲嘆や享楽に執われていると心の平穏は得られないのです。勿論、その時々の喜怒哀楽を享受して一瞬一瞬を大事に生きていくべきではありますが、もっと長い目で人生を見つめていく事が肝要です。それは個人の人生のみならず、人々の生活が続いていく世の中のことを意識し、継続した営みが心豊かな生き方となるのです。
浄土宗のお念仏もまた、特別な時にだけ称える行ではありません。嬉しい時も、悲しい時も、迷う時も、ただ「南無阿弥陀仏」とお称えする。その一声一声の積み重ねが、阿弥陀様と共に歩む生き方となるのです。
「継続」とは、今日のお念仏を明日へつなぐことです。長く続けようと力むより、まず今この時に一声お称えすることが始まりです。忙しさに追われ、心が乱れる日があっても構いません。立ち止まったなら、また一声から始めればよいのです。お念仏は、立派な者になるための修行ではなく、迷い多き私たちをそのままお救いくださる阿弥陀様のお慈悲にお任せする行です。
「持続」とは、自分の意志の強さだけで頑張り続けることではありません。私たちの心は移ろいやすく、決意が揺らぐこともあります。それでもお念仏を称えることが出来るのは、先に阿弥陀様から「必ず救う」と願われ、支えられているからです。称える私の声でありながら、その声の中に阿弥陀様の大いなる願いが届いている。その気持ちが、無理なく歩み続ける力を与えてくださいます。
法然上人は、極楽往生のためには、南無阿弥陀仏と称え、必ず往生すると信じてお念仏するほかに難しい条件はないとお示しくださいました。また、「三心(さんじん)四修(ししゅ)と申すことの候うは、みな決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり」と説かれます。「三心」とは、誠の心(至誠心・しじょうしん)、深く信じる心(深心・じんしん)、全ての行いを往生のために振り向けていく、往生を願う心(回向発願心・えこうほつがんしん)。「四修」とは、心をこめ、他の行を交えず、毎日、命の限り続ける態度です。それらは、日々お念仏を称える中に自然と具わってくるのです。法然上人は特にお念仏は続けていくことが大事だと示されました。
「相続」とは、財産を受け継ぐことだけではありません。仏様の御教えを受け取り、次の世代へ手渡していくことも大切な相続です。私たちが今日お称えするお念仏は、法然上人から八百五十年を経て、多くの念仏者によって守り伝えられてきた声です。そこには、ご先祖や家族、地域の人々の祈りも重なっています。私たちもまた、その尊い流れの中にいるのです。お念仏の相続は、難しい教えを上手に説明することだけではありません。お仏壇の前で手を合わせる姿、法要で共に称える声、悲しむ人に寄り添う心、いただいたご縁に感謝する暮らし、その一つひとつが、御教えを伝える大切な姿となります。子や孫が、その姿を見て「南無阿弥陀仏」と称えるなら、お念仏の灯はまた次の世代へと受け継がれていきます。
「継続」は、今の一声を重ねること。「持続」は、阿弥陀様の願いに支えられて歩むこと。「相続」は、いただいたお念仏を次の人へ手渡すことです。この三つは別々のものではなく、一声の「南無阿弥陀仏」の中で結ばれています。いつでもどこでも誰にでも、阿弥陀様は変わることなく私たちを照らしてくださいます。だからこそ、今日も一声、明日も一声。共々にお念仏を称え、その安心と喜びを未来へ相続してまいりましょう。