和尚のひとりごと№2316「鎌倉法語集」122

和尚のひとりごと№2316「鎌倉法語集」122

 

 

これを答(こた)うるには、故(ゆえ)知(し)んぬ、定性(じょうしょう)および現(げん)未(み)発(ほつ)、たとい宿(しゅく)善(ぜん)有(あ)りて、恒河沙(ごうがしゃ)のごとくなれども、ついに自(みずか)菩提(ぼだい)成(じょう)ずるの理(ことわり)なしといいて この善根(ぜんこん)以(もっ)仏(ほとけ)とならんという心(こころ)なき程(ほど)は、宿(しゅく)善(ぜん)恒沙(ごうしゃ)のごとくあれども、不成仏(ふじょうぶつ)故(ゆえ)に、衆生(しゅじょう)仏(ほとけ)成(な)らずして、今(いま)生死(しょうじ)留(とど)まるなりと、妙楽(みょうらく)大師(だいし)釈(しゃく)給(たま)えり。

 

この疑問の答えとして、「それ故に次のことを知るべきです。声聞などの聖者や、いまだ菩提心を発していない者は、たとえ過去世での善根の功徳がとてつもなく積み重なつていたとしても、最終的に自らが成仏するという道理はありません。この善根をもって仏になりたいという意志がない限りは、いくら過去世での善がとてつもない量あったとしても悟れないので、人々は仏になることが出来ないまま、いまだに輪廻の世界に留まっているのです」と妙楽大師湛然は説いております。

 

定性(じょうしょう)

唯識系統で説く五性各別に基づいた「声(しょう)聞(もん)定(じょう)性(しょう)」のこと。声聞(仏ではなく阿羅漢)となることが先天的に定まっているとされる衆生。「声聞(シュラーヴァカ)」は教えを聴く者の意で釈迦の弟子を指す。阿羅漢(アルハット)と仏は本来は釈迦の異名において同列であったが、のち阿羅漢は声聞として仏より低い段階とされた。

恒河沙(ごうがしゃ)

ガンジス川の砂の数、計り知れないほどの数量のこと。

妙楽(みょうらく)大師(だいし)

湛然。八世紀。天台六祖。他宗に対抗できるよう天台教学を整備、発揚した貢献者。

 

※大本山光明寺さまより発行されている『鎌倉法語集 良忠上人のお言葉』より再掲引用させていただいた内容となります。