和尚のひとりごと№2298「浄土宗月訓カレンダー4月の言葉」
和尚のひとりごと№2298「それでも花は咲く」

春になり桜の花も満開になってまいりました。桜の季節は短いと言われるように満開になったのも束の間、あっという間に葉桜になってしまいます。
金子大栄(1881〜1976)という浄土真宗のお坊さんが、「花びらは散っても花は散らない」という言葉を残されました。満開になった花の花びらが散っていくのであって花そのものは、季節がくればまた綺麗な花が咲いてくるのです。たとえ木そのものが枯れたとしても、根っこがしっかりと残っていればその木の二世三世が花を咲かせ、或いは実をつけてくれるのです。続けて金子大栄師は、「形は滅びても人は死なぬ」という言葉を示されました。念仏者は臨終の時に阿弥陀様にお迎えに来ていただき、西方極楽浄土に往生させていただくのです。仏の国の蓮の台(うてな)に生まれさせていただくのであり、決してこの世だけで全てが終わるのではありません。ともすると、この世だけが全てのように考え、いつまでも執着しがちです。しかし古の人々は後世を願い、この世だけではない事を言葉の中にも込めていかれました。「誕生日」「命日」「生前」という言葉には深い意味が込められています。誕生日の「誕」の字には「いつわる」「嘘」といった意味があり、この世に生まれる事は「偽りの世界」に生を受ける事、つまり「苦しい事、悲しい事」の始まりと解釈されます。「命日」は亡くなった日を指しますが、仏教では単なる「死んだ日」ではなく、故人が仏の国で新たな命を授かる日、或いは「本当の世界」である御浄土に生まれた日とします。「生前」は故人が生きていた期間を指す言葉ですが、仏教では「生前」の「生」は死後の世界での「生」を前提とした「来世に生まれる前」という意味合いが含まれます。
この世だけが全てではなく、来世を想い生きていく事が心の支えになります。今世での命を終えて後は西方極楽浄土で花は咲くと思い定め共々にお念仏を申して参りましょう。
