和尚のひとりごと№1925「一百四十五箇条問答」5

和尚のひとりごと№1925「一百四十五箇条問答」5

『一百四十五箇条問答』 答

 

お答えします。開眼と供養とは本来別のことであったはずですが、それを同じこととみなしているのです。元来、開眼というのは、仏師が仏像にまなこを入れて完成させることをいうのです。これを〈事の開眼〉と言っています。つぎに、僧が密教の修法の最初に、仏像の目を開いて真言をとなえて開眼し、仏を呼び、大日如来の真言をとなえて、仏の一切の功徳を完成させるようにするのを、〈理の開眼〉というのです。そして、仏に花をあげ、香をたき、供物を供え、みあかしなどをあげ、それ以外の大切なものを供えることを、供養というのです。

〈事の開眼〉は外面・形式的な側面での開眼、〈理の開眼〉は本体・真理の側面での開眼のこと。

 

下記を参考にさせて頂きました。
浄土宗大辞典
法然浄土教と民俗信仰――『百四十五箇條問答』を中心として―― 伊藤唯信
『一百四十五箇条問答』法然が教えるはじめての仏教 石上善應

出典は、
原文は、SAT(「大藏經テキストデータベース」)より
和訳は、『一百四十五箇条問答』法然が教えるはじめての仏教より
 ※適宜空白、改行を入れました。和訳には()内補いました。