和尚のひとりごと№1171「聖光上人御法語前遍10」

和尚のひとりごと№1171「聖光上人御法語前遍十」

世間(せけん)の人の心、偽(いつわ)り餝(かざ)って誑惑(おうわく)の心持ちたる人侍(はべ)るなり。 かかる心たしかならぬ人の中に謀(はか)りごとを構(かま)ゆる様(さま)は、いざや世の中に不思議の念仏者と思われて、余の人にも勝(すぐ)れて貴(たっと)く思われ、あるいは情けもある者とも思われんなどとて、人目ばかりに道心(どうしん)あるように見えて、物の哀(あわ)れなる気色(けしき)にて隙(ひま)も無く念仏申して、声をも貴げにいつくしくつくろい、振舞(ふるま)いも誠(まこと)しく心にしめたる様(よう)に持てなして、その心中(しんちゅう)には邪見(じゃけん)にして露(つゆ)ばかりも後世(ごせ)を思いたる事は更に無し。さればこの人の心中には虚仮(こけ)にして徒(いたず)ら事を思い、外(ほか)の人目には貫く見えて侍(はべ)るなり。かように謀(はか)り事を構ゆる人を誑惑の人と申し、偽り人と申す。是れを雑毒(ぞうどく)とも是れを虚仮(こけ)とも申す。

 

世間にはその心を偽り(いつわり)取(と)り繕(つくろ)って、他人を欺(あざむ)いて惑(まど)わす人がいます。
このように信仰の確かならぬ人たちの中で、何か隠れた計略をめぐらすような様子が、あの方(かた)こそが世にも稀(まれ)なる不可思議なる念仏者であると思わせ、他の人たちよりも際立って貴(とうと)き存在であるかのように思われたり、あるいは情(なさ)けある人であると思わせようと、端から見れば仏道に心を注ぐように見せて、しみじみとした情緒を漂わせて休む間もなく念仏を称えて、その声も恭(うやうや)しく厳(おごそか)につくろい、その振る舞いも誠実な心で自らを律しているかの如くに身を処しているが、実は心の中では邪(よこしま)なる見解ばかりで後世(ごせ)を大切に考えるなどという事は露(つゆ)ほどもないものです。
左様に、このような人の心中は偽りばかりで、無意味なことがらを思いながらも、端から見れば貴く見えているのであります。このように秘(ひそ)かに計略をめぐらすような人を「欺(あざむ)き惑(まど)わす人」といい「偽りの人」といいます。またこれを「煩悩に汚された人」とも「偽りの人」ともいうのです。

 

光明山悟真院 善導寺                                    聖光上人開基のお寺 博多市にございます。                                   ※久留米市の善導寺が大本山になります