和尚のひとりごと№2389「浄土宗月訓カレンダー6月の言葉」

和尚のひとりごと№2389「慈悲の雨 心潤す」

日本語には雨を表現する言葉が沢山あります。雨の降り方や季節、その時々の空模様を見て感じた心の有り様を言葉に託し、日本の自然の豊さと人々の心境を上手く表現しています。

春の雨、「春雨(はるさめ)」は、優しく静かに降る雨を言います。初夏の「五月雨(さつきあめ)」は梅雨時期の長雨を指し、「さみだれ」とも言われます。夏の激しい雨は「夕立(ゆうだち)」と言い、突然降り出し、短時間で止む雨の事です。また「篠突く雨(しのつくあめ)」は篠竹のように鋭く激しい降り方を指します。秋の「時雨(しぐれ)」は、晩秋の寂しさを漂わせる言葉です。「秋霖(しゅうりん)」は何日も続いて降る秋の長雨を言い、物思いにふけるような雰囲気を表現しています。冬に降る冷たい雨は「氷雨(ひさめ)」と言います。季節によって降る雨の名称が違うだけではありません。霧のように細かい雨粒は「霧雨(きりさめ)」と言い、米糠のように細かく降る雨は「小糠雨(こぬかあめ)」と言います。突然降り出す激しい雨は「驟雨(しゅうう)」。短時間に降る雨は「通り雨」。不均一に降る雨は「村雨(むらさめ)」と、日本人の繊細な心と四季への敏感さが生み出した美しい言葉です。

 人々の心情と結びつく雨にまつわる言葉もあります。「涙雨(なみだあめ)」は、ほんのわずかな雨のことを指すと同時に、悲しみや寂しさを表します。あるいは、雨と涙が重なり合うように、その情景を情緒豊かに表現し、時には別れと結びつけられて物語や映画の中で描かれたりします。更に「慈雨(じう)」と言えば、私たちに恵みをもたらしてくれる優しい雨を意味します。自然の恵みへの感謝と、雨が命を育んでくれる慈愛に満ちた表現です。

『仏説無量寿経』には、「法雨を澍(そそ)ぎ、法施(ほうせ)を演(の)ぶ」と説かれています。「法雨を澍ぐ」とは、仏法を雨に例えた表現です。雨は高い所も低い所も区別なく潤します。同じように仏様の御教えは、身分や立場、善人悪人、男女を問わず、全ての人々の心を潤し、苦しみを和らげてくださいます。乾いた大地が雨を得て草木を育むように、私たちの心も仏法に触れることで慈悲や感謝の心を育ませていただけるのです。「法施を演ぶ」とは、仏法を人々に説き聞かせ、分かち与えることです。人生の道しるべとなる御教えを伝えることは大きな功徳とされています。法施は決して難しい説法だけではありません。相手を思いやる一言、励ましの言葉、感謝の心を伝えることもまた仏法を実践する姿です。

恵みの雨によって植物が生き生きと育っていくように、私たちも仏法の御教えによる法の雨、慈悲の雨によって、生き生きと喜びに満ちた生活をさせていただけるのです。南無阿弥陀佛のお念仏の法雨によって心を潤し、喜びの生活をさせていただきましょう。