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No.29 井伊直政

今回はこの前の徳川四天王の続きで「伊井の赤鬼」と称され、全国の諸大名から恐れられていた伊井直政を書いていきたいと思います。



伊井直政は永録四年(1561年)今川氏の家臣であった伊井直親の長男として生まれまれ、徳川家康に仕えたのは天正三年(1575年)頃だと言われています。その後、高天神城攻略など対武田家との戦いで戦功を立て1582年には旗本先手役に命じられ本多忠勝や榊原康政等と同僚になります。また、同年の徳川家康最大の危機と言われる堺から三河への帰還、世に言う伊賀越えにも従軍しています。



「伊井の赤鬼」の由来は赤備え(武具を赤一色に揃えている事)からきています。元々赤備えとしては武田家の飯冨虎昌が知られていましたが、武田家に滅亡に際しその家臣を多く登用した伊井直政が受け継ぎました。ちなみに大阪夏の陣において真田幸村の軍勢は赤備えであり、赤備えとは当時から精鋭部隊として知られていました。また、伊井直政は一軍の将となっても前線に立って暴れ回ったことも赤鬼と称される由縁かもしれません。




伊井直政は大変部下には厳しく戦で少しでも失敗した者には容赦なく処罰したと言われています。しかし反面では後の領地となる彦根で旧領主であり敵であったの石田三成の政治が民衆に支持されているのを知ると、その政策を受け継ぐなど民衆には大変慕われていました。ちなみに現在彦根市の人気マスコットキャラクターの『ひこにゃん』は彦根市発展の基礎を作った伊井直政をモデルとしています。