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総本山知恩院

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総本山知恩院

No.92 知恩院 勢至堂

知恩院の勢至堂の紹介です。

知恩院御影堂の右奥に石段がございます。その石段を上りつめた所に勢至堂がございます。

勢至堂の地は、法然上人がご往生をお迎えられるまでお念仏のみ教えを自ら広められた大谷の禅房※の故地であり、知恩院発祥の地でもあります。

堂内正面に掲げられている勅額「知恩教院」は、室町時代の第105代天皇 後奈良天皇の宸翰※(しんかん)であり、知恩院の名の起源がここにあります。

現在の勢至堂は享禄三年(1530)に再建されたもので、知恩院数多い建造物の中、最古の建物でございます。
戦災によって徳川将軍家霊廟(れいびょう)は焼失し、焼失をのがれた三門(さんもん)・経蔵(きょうぞう)・黒門(くろもん)などを含む境内は、 昭和四十九年(1974)完成の大本堂とともに、近代的に整備されました。



ご本尊はもともと法然上人のご尊像(御影)でしたが、現在の御影堂が建立された折に遷(うつ)されたため、それ以降は法然上人の本地身※(ほんじしん)とされる勢至菩薩像をご本尊としておまつりしています。これが勢至堂といわれる由縁でございます。 また、上人ご終焉の本地の堂ということで、本地堂(ほんじどう)ともいわれています。

知恩院境内の中でも、ひときわ静穏な空気に包まれた場所でございます。心穏やかにお念仏をお称えしていただきたいと思います。


※※大谷の禅房 法然上人の時代はこの付近は大谷と呼ばれていました。禅房とは、僧侶の生活するところを含む建物のことです。

※宸翰 天皇自筆の文章のことです。

※本地身 本来の姿という意味です。浄土宗では、法然上人は勢至菩薩様の化身とされています。