浄土宗月訓カレンダー

和尚のひとりごとNo720「いつも立派でなくていい」

 三本の徳利(とっくり)があると思ってください。三本のうち一本にはお酒が一杯入っています。もう一つには半分程お酒が入っています。残りの一本には何も入っていません。中身のない空っぽの徳利です。今ここでいうお酒は人の心を表しています。一杯入っている徳利と空っぽの徳利は、振っても何も音がしません。一杯入っている徳利は、教養や理性というものが沢山入っていて謙虚な姿を表し、何時も冷静な判断をする人柄です。空っぽでは何もない故に音がしません。半分だけお酒が入っている徳利は中途半端です。振るとチャポチャポと音がします。人間は知ったかぶりをします。ちょっと勉強しただけで、何でも知っている様なふりをしがちです。ですから、「あーだ、こーだ」と自分の都合の言い言葉を並べてチャポチャポと音を出すのです。これが私達の姿です。みなチャポチャポと愚痴を言う身ではないでしょうか。2021jyuugatu
 法然上人が遺してくださった『一枚起請文』の中に、「一文不知(いちもんふち)の愚鈍(ぐどん)の身になして」とあります。一生涯お釈迦様が説かれた沢山の教えを、どれだけよく勉強したとしても中途半端にお酒が入っている徳利の様にチャポチャポと音を出して、知ったかぶりをするのが我々人間です。法然上人は、更に一歩掘り下げて、「一文不知で一つの文字も読めない愚鈍の身、無知の輩(ともがら)と同じ様になって智者の振る舞いをせずに、ただ一向に念仏しなさい。」と仰られました。知ったかぶりをしないで、「素直な心になって」という事です。
 浄土宗は、「還愚(げんぐ)」といって愚に還る御教えです。お念仏は理論理屈で証明できる科学的な教えではありません。知恵者ぶって学者ぶってお念仏を申すのではありません。知恵も学問もない、修行も出来ない、人としての道すら守る事が出来ない、自ら素直に懺悔(さんげ)する事さえ出来ない愚かな私が、素直な自分となってただひたすら、「助けたまえ」と南無阿弥陀佛のお念仏を称える事こそ最良の人柄であると教えて下さっています。
 上方落語の五代目・笑福亭松鶴(1884〜1950)さんは遊ぶ事、悪行この上なしと言われた芸人です。「なんやあの人は」と陰口を叩かれる程の人でしたが、最期はしっかりお念仏を称えて亡くなって往かれました。松鶴師匠は『煩悩(ぼんのう)を振り分けにして西の旅』と歌を遺されました。煩悩を一杯持った情けない者でも仏様は救ってやろうと示されています。ただただ南無阿弥陀佛とお念仏を申して、愚かな身のままでお浄土へ参らせて頂きますというお歌です。六代目の笑福亭松鶴(1919〜1986)さんは、先代の歌を受けて『煩悩を我も振り分け西の旅』と詠われました。「あの親父、五代目でもお浄土へ迎えとられました。こんな私もお浄土へ迎えとって頂ける。有り難い事だ。」という意味です。智者ぶらず、善人ぶらず、愚痴に還りてただひたすら信じ行ずべしという御教えが浄土宗の説き示すお念仏を申す人柄です。決して立派になって申すお念仏ではありません。阿弥陀様の救いを信じ、共々にお念仏申して過ごして参りましょう。

和尚のひとりごとNo690「称え続けてわかること」

 日本のプロ野球界のみならずアメリカメジャーリーグで活躍されたイチロー選手(鈴木一朗)。四十五歳で引退するまで、目を見張る大活躍でありました。イチロー選手のことを、「生まれ持っての天才」という人もいます。もちろん恵まれた身体能力は有るかもしれませんが、それでも毎日毎日、人の二倍、三倍と練習されていた結果です。ダラダラと怠けて過ごしていては決して良い結果を残せません。イチロー選手はインタビューの中で、「努力せずに何か出来るようになる人のことを『天才』と言うのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何か出来るようになる人のことを『天才』と言うのなら、僕はそうだと思う。人が僕のことを、努力をせずに打てるんだと思うならそれは間違いです。」と答えられております。やはり人の何倍も努力、精進され続けた結果でありましょう。20121kugatu
 浄土宗の御教えは、ただひたすらに「南無阿弥陀佛」とお念仏を称えて日々続けて頂くことです。「日課称名(にっかしょうみょう)」と言って毎日何百遍と「南無阿弥陀佛」と称え続けることを勧めています。称え続けて頂く手助けとして念珠(お数珠)があります。法然上人は、「念珠を博士(はかせ)にて舌と手とを動かすなり。」と申されました。博士(はかせ)とはリズムよく、自分のペースでという事です。自分のペースで、時には他の人とリズムを合わせて念珠を頼りに口で、「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛」とお称えし、手で念珠を繰り、お念仏を申し続けるのです。法然上人は、「世間の歌を歌い、舞を舞うすら、その拍子に随うなり。」と念珠を持つ理由として喩えてくださっております。歌を歌ったり、ダンスを踊る時でもリズミにのった方が歌い易く、踊り易いものです。ウォーキングされる時もリズムよく、自分に合ったペースで調子にのった方が前へ進み易いものです。お念仏もお称えし易い様に、また日々続け易いように、お念仏を申す助けとなるのがお数珠であります。
 毎日毎日となるとなかなか続け難いものと感じるかもしれません。お念珠を持っていても怠け心が起こってくるのは人間の性であります。しかし、「今日はお念仏申していないなぁ。」と思うということは未だそこに想いがあるという尊いことでもあります。「毎日何百遍も大変やなぁ。」「出来るかどうか自信がないなぁ。」と思われるかもしれません。しかし私が申すお念仏ではなく、阿弥陀様が申させてくださる、阿弥陀様が申す私に育てて下さるのだと、阿弥陀様にウェイトをおいてみてください。自分に重きを置くと、「ちょっと無理やなぁ。」「難しそうやなぁ。」という気持ちになってしまいます。私が申すのではなく申させてくださる私に、阿弥陀様がしてくださるのだとお受け取り頂き、日々お念仏申して過ごして参りましょう

和尚のひとりごとNo659「再会に心弾ませて」

 とある遊園地内にあるファミリーレストランでのお話です。若い夫婦が二人でお店に入ってきました。店員はその夫婦を二人がけのテーブルに案内しメニューを渡しました。するとその夫婦は、「お子様ランチを二つ頂けますか?」と言いました。店員は驚きました。何故ならお店の規則で、お子様ランチを提供出来るのは9歳未満と決まっていたからです。202108gatu
「お客様、誠に申し訳御座いません。お子様ランチは小学生のお子様迄と決まっておりますので、ご注文は頂けないのですが…。」と丁重に断りました。その夫婦は、「それなら結構です。」と言いました。しかしその夫婦はとても悲しそうな顔をしたので、店員は気になり勇気を出してマニュアルから一歩踏み出し尋ねてみました。
「失礼ですが、お子様ランチはどなたが食べられるのですか?」その夫婦は顔を見合わせた後、「実は…。」と奥さんの方が話し始めました。「今日は、亡くなった私の娘の誕生日なんです。娘は体が弱かったせいで、最初の誕生日を迎える事が出来ませんでした。子供がお腹の中に居る時に主人と、『三人でこのレストランでお子様ランチを食べようね。』って言っていたのですが、それも果たせませんでした。子供を亡くしてから、しばらく何もする気力もなく最近やっと落ち着いて、亡き娘と遊園地で遊んでいるつもりで、その後は三人で食事をしようと思ったものですから…。今日はもう十分に楽しませて頂きましたので…。」そう言うと二人はニッコリ微笑みました。
 店員はその場でご夫婦に頭を下げ、その足でマネージャーに報告に行き全てを話しました。聞き終えたマネージャーは直ぐ厨房のシェフに向かって、「お子様ランチひとつ!」とオーダーをしてウェイトレスに、「お子様用のイスを用意して!」と指示を出し、その夫婦を二人がけのテーブルから四人がけのテーブルに案内しました。数分後、運ばれてきたのは夫婦のオーダーした料理と、『お誕生日おめでとう』のプレートが立ったお子様ランチでした。「お客様、大変お待たせ致しました。ご注文のお子様ランチをお持ちしました。お子様のイスは、お父さんとお母さんの間で宜しいですか?では、ゆっくりと食事をお楽しみください。」店員はそう言ってその場を去りました。
 後日この夫婦から手紙が届きました。「あの日、食事を戴きながら涙が止まりませんでした。まるで娘が生きている様に家族の団欒を楽しませて戴きました。あの様な優しい思い出を頂けるとは夢にも思いませんでした。もう涙を拭いて生きていきます。また来年も再来年も娘を連れてお店に行きます。そしてきっと、この子の妹か弟かを連れて行きます。」と。
 この店員の行動は明らかに規則違反です。しかし、この行動について上司からお咎めを受ける事はありませんでした。何故ならこの店員はその遊園地が最も重視しているルールに従って行動したからです。これはお客さんに夢と感動を与えるディズニーランドに伝わるエピソードです。
 お盆は先にお浄土に往かれた方がこの世に戻ってきます。私達の目には見えないけれども、亡き人が目の前に在しますと想う心で、遺された私達の心の支えになる御教えです。お浄土で再会出来る日を楽しみに、会えた時には良い報告の出来る日暮らしを共々に心がけて参りましょう。

和尚のひとりごとNo628「どうなるか より どうするか」

 反戦、平和を訴え続けた日本のジャーナリストに武野武治(むのたけじ  1915~2016)という方が居られます。戦前に新聞報道の世界に入られましたが、国益に反する事が書けなかった時代です。報道による「嘘」を目の当たりにする事となりました。記者でありながら真実を書く事が出来なかった悔恨から終戦とともに退社し、「真のジャーナリストとは何か?」、「どうすれば人間が幸せに暮らせる社会が出来るのか?」を念頭に、ジャーナリストとして鋭く深い思索に裏打ちされた言葉を紡ぎ出してこられました。2021 7gatu
 武野さんは書物の中で、「どうするかを考えない者にどうなるかは見えない。」(週刊新聞『たいまつ』)という言葉を遺されておられます。先の分からない将来だけを見て、「どうなってしまうのだろう?」と不安だけを募らせても仕方のない事です。先ずは目の前をしっかりと見据え、今何をするべきか、どうする事が先決かを考え行動していく事で未来が少しずつ現実味を帯びてくるものです。
 『毒箭の喩え』というお話があります。一人の仏弟子がお釈迦様に、世界の常住性や死後の有無を問うのですが、お釈迦様は一つの喩えでもって答えられました。「喩えば或る男が毒矢で射られたとしよう。皆は早く医者を呼んで矢を抜き取ろうとするが、射られた男は、『この矢は誰が放ったのか?どの様な矢であるのか?』と矢についての事が分かるまで抜いてはならぬと叫んだ。しかし、矢についてあれこれ知ろうとするよりも、先ずは体に刺さった矢を抜く事が先決であり、そうしなければ死に至るであろう。」と説かれたのです。重要なのは今の苦しみをどう癒やしていくかという事がお釈迦様の言わんとするところです。
 死後に想いを馳せた時、地獄、極楽が有るのか無いのかをあれこれと考えるよりも、有る事を信じて先ずはお念仏申す事が念仏信仰においては大事な事です。非情な悲しみに遭い、「何故こんな苦しみを受けねばならないのか?」とその原因を追求してみても、又「どうして私は生きているのか?」と人生の意味を問うてみても、科学的視点では安らぎを得られません。科学で人生を解明しても人類は単なる進化の過程に過ぎないからです。私達は望むと望まざるにかかわらず、気付いた時には既に人生がスタートしており、平等でない環境の下、不条理な事もある世の中を生き抜いていかねばなりません。生きる事の意味を問うた時、目には見えない信仰の世界が一番の救いとなり、今を生きる我々に生ききる力を与えてくれるものです。後の世でまた逢えるという御教えを生きがいに、共々にお念仏申して過ごして参りましょう。

和尚のひとりごとNo598「善きことはゆっくり動く」

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昔々ある国に天下一の大泥棒が居ました。この天下一の大泥棒、とあるお寺に祀られている黄金の仏足石、金で造られた仏様の足形を盗んでやろうと企てます。しかしそう易々と簡単に盗めるものではありません。この大泥棒は一思案、お寺へ向かい、「和尚さん、私には妻と一人の息子が居ました。しかし二人とも病気で死んでしまい、私はもう生きていく夢も希望もありません。仏門に入って修行をしたいのです。」と嘘をついて出家する事にしました。大泥棒は髪を剃り落とし、お坊さんになったのです。大泥棒は皆の信用を得て、安心させてからお宝を盗んでやろうと思い立ったのです。ひとまず真面目に修行しているふりをし、一生懸命説法を聞き、勉強をしているふりをし、適当にお経も覚え、毎日お念仏や仏事に勤める事にしました。
 ひと月が経ち、ふた月が経ち、「あわてるな、もう少し辛抱しよう。」み月経ち、半年が過ぎ、「いやいやまだまだ。ここで仏足石を盗んだのでは足がつく。」一年二年三年四年…、「狙うは金のお宝仏足石。」五年六年七年八年、「いやいやまだまだ阿弥陀佛。」九年十年十五年…、「金のお宝阿弥陀佛。」二十、三十、四十年…、「南無阿弥陀佛、阿弥陀佛。」気づけばお寺の御住職になってしまいました。すると黄金の仏足石の祀られてあるこのお寺には尊いお坊さんが居られると町中の評判になり、大勢の善男子善女人が住職の説法を聞きに来るようになりました。元は天下一の大泥棒です。しかしそんな事は誰も知りません。大泥棒自身ももう黄金の仏足石を盗み出す必要が無くなりました。何故ならもう彼はこの仏足石のあるお寺の住職になってしまわれたのですから。今となっては、お宝を盗む為にこの寺にやってきた事すら忘れております。
 この世は善い行いを為そうと思ってもなかなか出来難い世界です。誘惑も多く、悪しき欲望が起こりやすい環境であるからです。ですから直ぐに仏様のような素晴らしい人柄になる事は不可能です。しかし仏様の真似は出来ます。それが仏道修行です。


『仏を真似て念仏し 先ずは浄土に往生す』


 仏様を真似て、今この世で仏様のように生きるとは、「南無阿弥陀佛」とお念仏を申していく事です。そしていずれ西方極楽浄土に往生させていただき、そこで私達自身が仏と成らせて頂くのです。悪しき習慣や自分自身の至らないところを変えようと努力してみても、直ぐに良くなるものではありません。全ては日々の積み重ねと、環境によってゆっくり変わっていくものです。それはちょうどカタツムリの歩みは遅くとも、着実に前へ前へと進んでいくようなものです。急ぐことなく出来る範囲で善い行いを心がけ、共々にお念仏申して過ごして参りましょう。

和尚のひとりごとNo566「立ち止まって深呼吸」

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 海の波の動きを「波動」と言います。風が強い日は波が荒くなりますが、全く風がなくても、たとえ水面に波が見えなくても、水面下では「うねり」となって波は必ず動いています。寄せては返す「波動」、1分間に17、8回あるそうです。私達の体で1分間に17、8回と言えば「呼吸」になります。安静時の健康な成人の平均的な呼吸数が「波動」とほぼ同じ数になるそうです。ですから釣りの好きな人が海に出て、釣り糸を垂れて横たわっていますと、一番心地良く休めるそうです。「呼吸」と「波動」が同じ数である故、心地良く感じるのです。呼吸数が18回として、その倍の36と言えば人間の「体温」になります。「体温」が36度でおおよそ、その倍の70となると「脈拍」。「脈拍」の倍の140と言えば「血圧」になります。「血圧」の倍の280は、胎児が母親の体内にいる日数になります。十月十日と一口に言いますが、この280日を100倍した28000日。これは「寿命」になります。天から授けて頂いたという事で「天命」とも言いますが、その「天命」が28000日。一年の日数、365日で割ってみると76点いくつになります。これがおおよそ、人としての「寿命」になります。有り難い事に今の日本人の平均寿命はこれ以上の方が多くなりましたが、大体70なかばあたりが良い頃合いの「寿命」です。一分間の「波動」が17、8回で人の「呼吸」と同じ。その倍が「体温」。「体温」の倍が「脈拍」。「脈拍」の倍が「血圧」。「血圧」の倍の280日が胎児が母親の体内にいる日数になり、その100倍の28000日が人の「寿命」になる。その様に考えますと、我々の日々の暮らしは大自然の法則の中で生かされているとも言えるのではないでしょうか。自分の力で生きているようだけれども、目に見えない力によって生かされている。生かして頂いているこの命と考えられるのです。目に見えない量り知れない不思議な力に対してお釈迦様は、「人智を超えた見えない存在があるのではなかろうか。」と手を合わせていかれました。肉体的にはご先祖様から頂いた血と肉でありますが、不思議な力によって今こうして生かして頂いている私達であります。

「ありがたし今日の一日(ひとひ)も我が命 めぐみたまえり天(あめ)と地(つち)と人と」

<佐々木信綱(のぶつな)1872~1963 国文学者・歌人>


晴れの日は、光の恵みを与えられ、雨の日は水の恵みが与えられます。そして大地には米や野菜といった農作物の恵みが出来上がります。食べる物に限らず日々の生活全て人や物に頼って生かされている私たちです。生きていく事は自分一人の力ではないと日々共々に感謝の気持ちで過ごして参りましょう。

和尚のひとりごとNo536「そっと手を貸す思いやり」

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 コロナ禍で沢山の医療従事者の方々が各地で懸命な看護に当たってくださっています。「看」という字は「手」という字の下に「目」という字を書きます。「目」の上に「手」をかざして、ものをよく見るという意味を表しています。手に心を込めて人の心に触れる事、手を差し伸べる事、対象者をじっくりと見るという意味が「看」という漢字には込められています。  お釈迦様は、「病人が出た場合は必ず看護すべし。」と定められました。或る時、一人の修行僧が病気にもかかわらず誰にも看病されずに横たわっていました。その病人を見かけたお釈迦様は、「どうして誰もあなたを看病しようとしないのか?」と問うと、「私は平生、他の修行者が病気になっても助ける事なく、悪臭の為にその場を厭い離れ、修行者として為すべき事を怠っていたからです。」と答えました。するとお釈迦様はその病気の修行僧の体を清め、衣を洗い、床や部屋を掃除しました。そして病人の体を撫でるお釈迦様の手によって苦痛は取り除かれ、癒されたと伝えられています。お釈迦様は、「平生に為すべき事を怠れば、自分が窮地の際には苦痛が激しく増すのである。」と病人に教え諭され、他の修行者たちには、「病気の者があれば看病しなければならない。お互いが仏弟子であるのだから常平生からお互い助け合うように。」と言われたそうです。

 平生、他の修行僧が困っている時に見て見ぬふりをし、何も手助けをしない事は善くない行いです。だからといってその修行僧が困っている時、同様に手を貸さず見捨てる事も善くない行いです。お釈迦様はどちらの修行者に対してもお互いが助け合い、特に病気になれば看病すべき事を示されました。仏道を歩むとは、目の前で困っている人や、苦しんでいる人たちにしっかりと寄り添い、その苦しみや痛みを我ごとのように受け止め、苦楽を共にする生き方です。

     手を取りて 共に泣かなん 泣く人の 痛む心に 心合わせて

 お釈迦様の伝記では、「病人の体を撫でるお釈迦様の手によって苦痛は取り除かれ癒された。」と言い伝えられていますが、「手」をもって行う看護が病者の苦痛を治癒する大きな要素であるようです。「手当をする」「手遅れになる」という表現があるように、手の働きを抜きにして看護の実際はあり得ないと思われます。また手の「触れる」「つかむ」という働きが、「把握する」「理解する」という精神的な働きと関連する事も大きな意味があるのだと思われます。病人に触れる事でその人の病状を把握し、相手を理解していくという働きへと繋がるのです。

 常平生から見返りを求める事なく、そっと手を差し伸べる思いやりを共々に心がけて参りましょう。

 

和尚のひとりごとNo505「ひたすらに まっすぐに」

念仏信者が守るべき生活態度の一つに「無余修(むよしゅ)」というのがあります。「余」とは「他のもの」という意味です。他のものをまじえずに、お念仏を専らに修める事を「無余修」と言います。

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 信仰は純一無雑(じゅんいつむざつ)でなければなりません。純粋素直に信じ、ただひたすらであるべきです。決して他の信仰が悪いという事ではありません。縁があってお念仏に出遭われたのならば、この道一筋と心がけていきましょうという事です。他の神仏、宗教も敬うけれども、私自身を救ってくださるのは阿弥陀様ただ一仏と信仰を固めていただくのです。例えば、水道のホースをそのまま普通の状態で水を出せば水の力は弱いままです。しかし、ホースの先をキュッとつまむと水の力は強くなり遠くまで飛びます。信仰も一本にしぼるべき事の喩えです。

 世の中には沢山の宗教がありますが、正しい宗教の目的は一つです。「幸せ」になっていく事。そして自分自身の「器(うつわ)」を育てさせていただく事です。この世の中を生きていく中で、時として一歩も前へ足を踏み出せなくなる様な苦しみの縁に出遭う時もあります。しかしどんな困難な壁にぶつかったとしても、自分が信じる教えによってその困難を乗り切る指針となり、やがて苦難が転じて幸せな生活を送れるようにさせていただけるのが宗教です。また自分の心の中を見つめ直す機会を与えてくださり、自分自身の「器」を育てさせていただくのも宗教です。生きていく上で心の支えとなる宗教は色々あるけれども、頂点へ登り詰めれば皆同じところです。仏教の中にも宗派は種々ありますが、元は皆お釈迦様の御教えです。

   分け登る 麓(ふもと)の道は 多けれど 同じ高嶺(たかね)の 月を見るかな

 浄土宗では他の宗旨や宗派の違うお寺や神社に参ったとしても「南無阿弥陀佛」のお念仏で拝んでくださいと御取りつぎいたします。観音様もお地蔵様もお不動様も、その他の神様も全て阿弥陀如来様の御化身であると受け取っていただいて、「南無阿弥陀佛」とお念仏を申すのです。しかし決して人様の信仰を妨げる様な事があってはいけません。違う信仰を持った人達が居る中で一人大きな声で「南無阿弥陀佛」と頑張る必要はありません。その様な時は心の中で「南無阿弥陀佛」とお称えください。

     極楽の 道は一筋 南無阿弥陀 思案工夫の わき道をすな

 信仰は阿弥陀様一仏と定めていただき、迷う事なく、共々にただひたすら「南無阿弥陀佛」のお念仏一筋で過ごして参りましょう。

和尚のひとりごとNo477「羽ばたく備え 怠りなく」

 念仏信者が守るべき生活態度の一つに長時修(ぢょうじしゅ)というのがあります。これは一生涯最期臨終に至る迄、お念仏を称え続けると言う事です。この世で命終える最期の日迄お念仏の信仰を持ち続けていただく事です。2021-2

 念仏婆さんという昔話があります。お念仏の御教えに出遭ってから七十歳になる迄「南無阿弥陀佛」のお念仏三昧(ざんまい)で暮らして居られたお婆さん。朝、目が覚めると「南無阿弥陀佛」。顔を洗いに行っても「南無阿弥陀佛」。食前食後も「南無阿弥陀佛」。明けても暮れても念仏三昧。このお婆さんが七十歳になった時に地震に遭い、梁が落ちてきて下敷きになろうという時にも「南無阿弥陀佛」と称えました。しかし気の毒にも梁の下敷きになって亡くなられました。ところがこのお婆さん、死んだら地獄の閻魔様の前へ突き出されたので腹を立て、「私は毎日お念仏を申して暮らしてきました。お念仏で極楽へ往けるものと思っておりましたのに、地獄へ堕とされるというのは一体どういう事か?そのわけを聞かせてもらいたい。」と閻魔様にくってかかったそうです。すると閻魔様は、「そうか、それ程お念仏を称えていたのか。それでは今迄称えていたお念仏を此処へもって来い。そのお念仏を調べてやろう。」と言われました。

 お婆さんは長持ち一杯のお念仏を閻魔様の前へ持ってくると、閻魔様が大きな篩(ふるい)の中に長持ち一杯のお念仏を移しました。すると、七十歳になる迄毎日称え続けていたお念仏が皆スポスポと下へ落ちてしまわれた。しかし最後にたった一つだけ残ったお念仏がありました。梁の下敷きになろうという瞬間に一生懸命称えた「南無阿弥陀佛」です。このお念仏が一つだけ残っていました。毎日称え続けていたのは鼻歌みたいなお念仏でしたが、最期命尽きる時に必死で称えた「南無阿弥陀佛」。このお念仏で極楽へ往く事が出来たというお話です。

 この昔話を聞くと、最期必死になって称えたお念仏が阿弥陀様の耳に届いたのだと私達は考えがちです。しかしそうではありません。七十歳になる迄毎日称え続けていたお念仏と、梁の下敷きになろうという最期の瞬間に必死で称えたお念仏の両方で極楽へ往けたとお受け取りください。それは、お念仏の御教えに出遭い、常日頃から南無阿弥陀佛とお称えしていたからこそ、いざという時、まさかの時にお念仏が口から出てきたという事です。我が身にまさかの災難が降りかかった時、普段からお念仏をお称えしていなかったら、なかなか口からお念仏は出てこないものです。たとえ鼻歌交じりのお念仏であっても毎日称え続け、身につけておく事が大事なのです。

  そらみたか 常が大事じゃ 大晦日

 命尽きた時には阿弥陀様にお迎えに来ていただき、西方極楽浄土へ往生させていただく。それまで怠らず日々共々にお念仏を申し続けて過ごして参りましょう。

和尚のひとりごとNo446「誓い新たにはじめよう」

 新年明けましておめでとう御座います。新たな一年を迎え、今年一年の計画や目標、新年を迎えての意気込みを誓われた方も多い事でしょう。「一年の計(けい)は元旦にあり」という言葉があります。出典は、中国の明(みん)という時代に憑慶京(ひょうおうきょう)という学者さんが著された、『月令広義(げつれいこうぎ)』という書物に依ります。その中に、「一日(いちじつ)の計(けい)は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり。」という一文が記載されています。「晨」は「あした」と読み、「朝」の事を指します。「春」は「正月」の事を指します。全体として、「一日の始まりである朝や、一年の初めである正月に計画を立てるべきである。」という意味になり、一日の過ごし方や一年通しての生活を充実させ、無益な日々を送らない様にという戒めの言葉になります。2021-1-1

 この言葉には続きがあります。「一生の計は勤(つとめ)にあり、一家の計は身にあり。」勤勉に働く事で一生が決まります。健康でいる事で一家の行く末が決まります。簡単にまとめると、何か始める時にはきちんと計画を立てて無駄に過ごさず、健康に留意し、真面目に順序良く計画を進めていけば成功するという事になります。しかしながらこの世の中は、なかなか思い通りにはいかないものです。計画通りに進めていても思わぬ壁にぶち当たる事もあります。真っ直ぐに歩んでいても目の前に大きな壁が立ちはだかったりもします。健康に留意していても怪我をする事もあれば、病気に罹る事もあります。一年一年、年齢を重ね少しずつ老いていかねばならないのが我が身です。それがこの世、無常の世の中です。思い通りにはならない、老いていかねばならない世の中だからこそ、しっかりと歩んでいける心の支えが必要となります。

 浄土宗の御教えは、「南無阿弥陀佛」とお念仏を申す御教えです。阿弥陀佛という仏様に最期臨終の夕べ、この世で命終える時に至って、お迎えに来て頂き、西方極楽浄土へ生まれさせて頂く事をお願い申し上げるのがお念仏の御教えです。阿弥陀様は、「我が名を呼べば必ずどの様な者であっても救いとって、我が国、西方極楽浄土へと迎えとる。」と御誓いくださいました。これを本願(ほんがん)と言います。私たちの目には見えない信仰の世界ですが、「南無阿弥陀佛」と唱える声を、いつでもどこでも阿弥陀様は聞いてくださっているのです。阿弥陀様の本願は確かな誓いであるので間違いない事です。

    新しき 年迎えては さらにまた

       続けはげまん み名呼ぶつとめ (藤堂恭俊)<増上寺第86世法主>

 コロナ禍で、まだまだ生活し難い日々が続きそうです。不安や心配事の絶えない日々、私たちの思い通りにはいかない世の中ですが、信仰を心の支えに今年一年もしっかりとお念仏を申して歩ませて頂きましょう。