御法語

和尚のひとりごとNo303「法然上人御法語第二十七」

前篇 第27 親縁(しんねん)

gohougo

~仏も衆生を御覧になる~

【原文】

善導(ぜんどう)の、三縁(さんえん)の中(うち)の親縁(しんねん)を釈(しゃく)し給(たま)うに、衆生(しゅじょう)仏(ほとけ)を礼(らい)すれば、仏これを見給う。衆生仏を称(とな)うれば、仏これを聞き給う。衆生仏を念(ねん)ずれば、仏も衆生を念じ給う。かるが故に阿弥陀佛(あみだぶつ)の三業(さんごう)と行者(ぎょうじゃ)の三業と、かれこれ一つになりて、仏も衆生も親子のごとくなる故に親縁と名づく」と候(そうら)いぬれば、御手(おんて)に数珠(ずず)を持たせ給いて候(そうら)わば、仏(ほとけ)これを御覧(ごらん)候(そうろ)うべし。

御心(おんこころ)に「念仏申(もう)すぞかし」と思(おぼ)し食(め)し候(そうら)わば、仏も行者を念(ねん)じ給(たま)うべし。

されば、仏に見(まみ)えまいらせ、念(ねん)ぜられまいらする御身(おんみ)にてわたらせ給い候(そうら)わんずるなり。

さは候(そうら)えども、常に御舌(おんした)のはたらくべきにて候(そうろ)うなり。三業(さんごう)相応(そうおう)のためにて候(そうろ)うべし。三業とは、身(み)と口(くち)と意(こころ)とを申(もう)し候(そうろ)うなり。しかも仏の本願(ほんがん)の称名(しょうみょう)なるが故に、声を本体(ほんたい)とは思(おぼ)し食(め)すべきにて候(そうろう)。

さて我が耳に聞(きこ)ゆる程(ほど)申(もう)し候(そうろ)うは、高声(こうしょう)の念仏(ねんぶつ)のうちにて候(そうろ)うなり。

勅伝第23巻

 

dai27

【ことばの説明】

三縁(さんえん、さんねん)/親縁(しんねん)

念仏を実践する者が得られる三種の利益(りやく)である親縁(しんえん)・近縁(ごんえん)・増上縁(ぞうじょうえん)のこと。

親縁とは、阿弥陀仏と念仏者との間に親しい関係が成立すること。近縁とは、念仏者が望めば仏が現前するように両者に近しい関係が成立すること。増上縁とは、称名念仏の滅罪と来迎の力のこと。

もとは善導大師が自らの体験に基づき『観経』の一節「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」を解釈する中で述べたもので、法然上人はそれを承けて本御法語を記している。

 

高声(こうしょう)の念仏(ねんぶつ)

憶念する念仏に対して、声高らかに唱える念仏のこと。法然上人によれば必ずしも大きな声で唱えなければならないとはされず、自分自身の耳で聴きとれる程度であれば高声念仏とされるべきだとここで述べられている。

 

 

【現代語訳】

善導大師が三縁の中の親縁を解釈されて「衆生が阿弥陀佛を礼拝すれば、仏はこれを御覧になる。衆生が阿弥陀佛の名を唱えれば、仏はこれを聞かれる。衆生が阿弥陀佛を念ずれば、(同様に)仏は(衆生を)念じられる。こういう訳で阿弥陀佛の三業(身口意にわたる全ての振舞い)は、衆生の三業と全く同一のものとして重なり、阿弥陀佛と衆生とがまるで親子の如く親しい関係になるので親縁と名付けるのである」とされておられるので、(もし)そのお手に数珠を持てば(数珠を繰って礼拝を捧げれば)、仏もそれを御覧になるでありましょう。

(もし)心に「よし、念仏を称えるのだ」とお思いになれば、仏もその行者に想いを致されることでしょう。

そのように仏に御覧頂ける、そして仏に思い致される、そのような身になられるでしょう。

しかしながらこのように申しましたが、常に舌を働かせるべきでもあります。(それは)(身口意の)三業を(仏と)一致させる為であります。三業とは身体(による行為)と口(による発話行為)と心(で思う行為)の事であります。くわえて阿弥陀佛の本願に誓われた称名(名を口で称えること)なのですから、(実際に)声に出すこと(による念仏)が根本であると考えられるべきです。

ところで(このような場合に)自分自身で聞き取れる程の大きさで称えれば、(それもいわゆる)高声の念仏のうちに入るのです。

 

 

浄土宗における現世利益(念仏によって得られる功徳)の要は往生への確信の深まりによる安心の確立であります。そして善導大師の宗教体験に基づいて釈されたという三業相応は、娑婆世界のただ中で生きる私たちに安心の拠り所を示しているように見えます。

西方極楽浄土は十万憶仏土の彼方にある、誠に気が遠くなるほど離れているようですが、称名念仏により仏と衆生は誠に近しい間柄となる。まさに、現前し、私たちの思いを受け止めてくれる仏、それが彼の阿弥陀仏であることを改めて実感致しました。

合掌

和尚のひとりごとNo287「法然上人御法語第二十六」

前篇 第26 光明摂取(こうみょうせっしゅ)

gohougo

~光明はいつどこにおいても~

【原文】

観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)に曰(いわ)く、「一々(いちいち)の光明(こうみょう)、遍(あまね)く十方(じっぽう)の世界を照らして、念仏の衆生(しゅじょう)を摂取(せっしゅ)して捨て給(たま)わず」。これは光明、ただ念仏の衆生を照らして、余(よ)の一切の行人(ぎょうにん)をば照らさずというなり。

但(ただ)し余(よ)の行(ぎょう)をしても、極楽(ごくらく)を願わば、仏光(ぶっこう)照らして摂取し給(たま)うべし。いかがただ念仏の者ばかりを選びて照らし給えるや。

善導(ぜんどう)和尚(かしょう)、釈(しゃく)して宣(のたま)わく、「弥陀(みだ)の身色(しんじき)は金山(こんせん)の如(ごと)し。相好(そうごう)の光明(こうみょう)、十方を照てらす。唯(ただ)念仏の者のみ有りて光摂(こうしょう)を蒙(こうむ)る。当(まさ)に知るべし、本願(ほんがん)最も強きを」。

念仏はこれ弥陀の本願の行なるが故に、成仏の光明、還(かえ)りて本地(ほんじ)の誓願(せいがん)を照らし給うなり。余行(よぎょう)はこれ本願にあらざるが故に、弥陀の光明、嫌いて照らし給わざるなり。

今、極楽を求めん人は、本願の念仏を行(ぎょう)じて、摂取(せっしゅ)の光に照らされんと思(おぼ)し食(め)すべし。これにつけても念仏大切に候(そうろう)。よくよく申(もう)させ給(たま)うべし。

勅伝第25巻

dai26

 

【ことばの説明】

観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)

『観無量寿経一巻』は元祖上人が定めた浄土三部経の一つで、西域(中央アジア)出身の畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳と伝えられる。畺良耶舎はKālayaśas(カーラヤシャス)の音写で、五世紀頃の人。特に禅(観法)に秀で、請われて本経を訳したと言う。

『観無量寿経(観経)』は漢訳しか現存せず(漢訳からウイグル語に訳された重訳は存在する)、その内容から、中国撰述や中央アジア撰述など多説あったが決定的な結論は出ていない。少なくとも観仏の実践を勧めている点やその仏身の巨大性などから、北西インドや中央アジアにルーツをたどることは可能だと言われている。

内容は阿闍世(あじゃせ)説話に始まり、幽閉された韋提希夫人(いだいけぶにん)に対して釈尊が説く教説、そして阿難尊者がその内容を再説するという流れになっている。

中国に伝承されてより数々の論師がこの経に対して解釈を施したが、善導大師は、未来世一切の凡夫に対して、一心に心より信じて浄土への往生を願い、十念(十回の念仏)を修めることで必ず往生を得ることを示したのがこの『観経』であるとし、韋提希自身を他ならぬ(私たちと同様の)凡夫であると見なされた。

 

余(よ)の行(ぎょう)

往生を目的とした点では同じだが、念仏ではない他の行法のこと。

 

善導(ぜんどう)和尚(かしょう)、釈(しゃく)して宣(のたま)わく…

善導大師著わした『往生礼讃』よりの引用。

 

相好(そうごう)

仏の身体が備えている優れた目に見える特徴。代表的な三十二相と、さらに細かく八十種好を数えることもある。

 

 

【現代語訳】

『観無量寿経』(無量の命を持つと言われる仏を見奉る事が説かれた経)にはこのように説かれています。「(彼の阿弥陀仏の放つ)光明の一々が、十方の世界を万遍なく照らし、それぞれの世界で生を受けた衆生がもし念仏を称えるならば、その御光(みひかり)で包み収めて決して捨てることはない」。ここに言われるのは、(仏の)光明は、ただ念仏を称える衆生だけに届き、(同じく往生を目的とする)他の全ての実践を行ずる者を照らすことはないということであります。

そうは申しても、(念仏以外の)他の行によって極楽世界への往生を願うのであれば、仏の光明が(その者をも)照らしてもよさそうなものです。何故、ただ念仏を申す者だけを選んで照らすというのでしょうか?

善導和尚は解釈して次にように仰られています。「阿弥陀の身体の色といえばまるで黄金でできた山のようである。仏の身体から顕かに放たれる光明は、あらゆる方角にある世界を隈なく照らし給う。(そして)ただ念仏を行う者のみがその光明による救いを賜る。阿弥陀仏の本願の力が最も強いこと、そのことをこそ知っておくべきである」。

念仏というのはまさに阿弥陀如来がかつて修業時代に誓われた行であるが故に、覚りを得て仏となったのちに放たれる御光が、ひるがえって、(過去の)仏となる以前の誓願を照らし出すこととなっているのです(かつて修行時代に誓った誓願の通りに念仏の衆生をその光りをもって照らし出すのです)。(これに対して、念仏以外の)他の行は阿弥陀仏の本願ではないが故に、その光明は、これを差し置き照らすことがないのです。

まさに今、極楽浄土への往生を求める人は、本願に誓われた行である念仏を修めて、彼の仏が衆生を救い取ろうとされるその光に照らし出されることをこそ望むようにしてください。以上述べてきたことからしても、念仏というのは大切にすべきものなのです。何度でも念入りにお唱えになって下さい。

 

 

阿弥陀如来は寿命が無量であると同時に、無量の光明(みひかり)をもって私たちを照らして下さる仏でありました。寿命無量は時間の無限性を示します。そして光明無量は空間の無辺際を示します。まさにこの御法語で説かれるように、念仏を称える衆生を漏れなく照らして下さる御仏であります。光りとは仏の智慧であり大慈悲そのものだとも言えましょう。

「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」

私たち浄土宗のお勤めでは、御念仏を心行くまで申す念仏一会の前に、必ずお唱えする一節でもあります。六道輪廻の世界を流転し、娑婆世界にて迷いの生を生きる私たちが、西方浄土の御仏とつながる唯一の道、それを開くのが御念仏なのです。

合掌

 

和尚のひとりごとNo272「法然上人御法語第二十五」

前篇 第25 導師嘆徳(どうしたんどく)

gohougo

~善導こそ弥陀の化身なり~

【原文】

静かに以(おもんみ)れば、善導(ぜんどう)の観経(かんぎょう)の疏(しょ)は、これ西方(さいほう)の指南(しなん)、行者(ぎょうじゃ)の目足(もくそく)なり。然(しか)ればすなわち西方の行人(ぎょうにん)、必ず須(すべから)く珍敬(ちんぎょう)すべし。

なかんずく、毎夜(まいや)の夢の中(うち)に僧ありて、玄義(げんぎ)を指授(しじゅ)せり。僧というは、おそらくはこれ弥陀(みだ)の応現(おうげん)なり。爾(しか)らば謂(い)うべし、この疏(しょ)は弥陀の伝説(でんぜつ)なりと。いかに況(いわん)や、大唐(だいとう)に相伝(そうでん)して云(い)わく、「善導はこれ弥陀の化身(けしん)なり」と。爾(しか)らば謂(い)うべし、「この文(もん)はこれ弥陀の直説(じきせつ)なり」と。すでに、「写(うつ)さんと欲(おも)わん者は、もはら経法(きょうぼう)のごとくせよ」といえり。此(こ)の言(ことば)、誠(まこと)なるかな。

仰(あお)ぎて本地(ほんじ)を討(たず)ぬれば、四十八願(しじゅうはちがん)の法王(ほうおう)なり。十劫(じっこう)正覚(しょうがく)の唱(とな)え、念仏に憑(たの)みあり。俯(ふ)して垂迹(すいじゃく)を訪(とぶら)えば、専修念仏(せんじゅねんぶつ)の導師(どうし)なり。三昧(さんまい)正受(しょうじゅ)の語(ことば)、往生に疑いなし。本迹(ほんじゃく)異なりといえども、化導(けどう)これ一(いつ)なり。

ここに貧道(ひんどう)、昔此(こ)の典(てん)を披閲(ひえつ)してほぼ素意(そい)を識(さと)れり。立ちどころに余行(よぎょう)をとどめてここに念仏に帰(き)す。それより已来(このかた)、今日(こんにち)に至るまで、自行(じぎょう)・化他(けた)、ただ念仏を縡(こと)とす。然(しか)る間(あいだ)、稀(まれ)に津(しん)を問う者には、示すに西方の通津(つうしん)をもてし、たまたま行(ぎょう)を尋(たず)ぬる者には、誨(おし)うるに念仏の別行(べつぎょう)をもてす。これを信ずる者は多く、信ぜざる者は尠(すくな)し。〈已上略抄〉

念仏を事(こと)とし、往生を冀(こいねが)わん人、豈(あ)に此(こ)の書(しょ)を忽(ゆるが)せにすべけんや。

勅伝第18巻

dai25

 

【ことばの説明】

善導(ぜんどう)の観経(かんぎょう)の疏(しょ)

善導大師が著した唯一の教義書でもある『観無量寿経疏』は、それ以前に中国で行われていた『仏説観無量寿経』に対する解釈を一新した。特にその玄義分において、王舎城の悲劇の主人公である韋提希夫人(いだいけぶにん)が凡夫であり、その凡夫に対して釈尊が浄土門を開示したのが『観経』であるとする。つまり阿弥陀仏の本願は凡夫をこそその対象とするものであることがここに明らかに示された訳である。

 

玄義(げんぎ)

深遠なる真理、本当の意味。

 

応現(おうげん)

化身に同じ。仏・菩薩が衆生の教化・救済のために、時機に応じた姿となって現われ出ること。

 

本地(ほんじ)

上記のように仏・菩薩がその様態を変えて神となって現れた姿を垂迹(すいじゃく)と呼ぶのに対して、その本来の姿を本地と呼ぶ。

 

三昧(さんまい)正受(しょうじゅ)

「三昧」とは禅定(精神集中)のこと。原語samādhi(サマーディ)を音写した語で、三摩地(さんまじ)、三摩提(さんまだい)とも言う。

「正受」とは正しく受け継ぐこと。

善導大師は「三昧を正受された」すなわち「三昧を発得」し、深い精神集中の境地において浄土や仏の様相を見ることが出来たことを言っている。

 

本迹(ほんじゃく)

上に述べた本地(ほんじ)と垂迹(すいじゃく)。

 

貧道(ひんどう)

出家はしたものの仏道修行の未だ未熟な人のこと。ここでは法然上人がへりくだって御自身をそのように呼んでいる。類似の表現として拙僧など。

 

 

【現代語訳】

心静かに思ってみれば、善導大師が著した『観経疏』は、西方の極楽浄土への導きそのものであり、念仏行者にとってみれば、道を照らす目となり歩みを進める足となるものです。ですから西方浄土を目指す行者は、是非とも大切に敬わなければなりません。

とりわけ、毎晩夢の中にて一人の僧侶が(善導大師に)奥義を示し授けたのであります。この僧は阿弥陀仏が仮にその姿を現したものであるに違いありません。そうであるならばこのように申し上げるべきでしょう。(弥陀の教授によって善導大師によって著わされた)この『観経疏』は、阿弥陀仏から直接説き伝えられたものであると。言うまでもなく、偉大なる唐の国においてはこのように伝承されています。「善導大師は弥陀の生まれ変わりである」と。それであるなばら申すべきであります。「(観経疏に記された)この言葉は阿弥陀仏か直接説かれたものに他ならない」と。まさしく(善導大師御自身が)「(この観経疏を)書き写そうと思う者は、全く以てこれを仏の言葉を書き残した経典の如くに扱え」と仰っています。この御言葉こそ至極もっともであります。

仰ぎ見て仏の本来の御姿を辿っていけば、もとは四十八願を立てられた法王(である阿弥陀如来)に他なりません。その阿弥陀如来が十劫の遥か昔に既にお悟りを得て仏陀となられていると言われるが故に、私たちは称名念仏を頼みとするに足りるのです。今一度、身をひれ伏し、敬虔なるこころをもって、仏が私たちの済度のために様々な仮の姿をとって現われて下さっているそのお姿を辿れば、それはまさしく専修念仏を伝えて下さる導き手であります。(その善導大師が生前に)三昧を体得されていたという御言葉を残していますが、それこそが往生に疑いを差しはさむ余地がないことを明白に示しているのです。(このように元の姿である仏と、仮の姿である善導大師というように)元と仮の姿在り様の違いはあれども、お示し下さる教え自体は同一なのです。

そこで拙僧(未だ修行至らぬ身であるこの私法然)は、かつてこの観経疏を開き拝読して、その書の真意を知るに至りました。そこでただちに念仏以外の行をやめて、ただ念仏を拠り所とするようになりました。それ以来というもの、ただいま今日に至るまで、自分自身の為に励む修業も、あるいは他への教化・救済についても、ともに念仏をこととするようにしています。その間も、稀に彼岸へ至る渡し場を探す者がいれば、西方浄土へ通じる渡し場を示し、修業方法を尋ねる者が来れば、特別な行としての念仏を教え諭しました。これを信じる者は多く、信じようとしない者こそ少ないのです。

(以上は『選択本願念仏集』からの引用)

念仏を行うべき行として、西方浄土への往生を心から願う者であれば、どうしてこの書(『観経疏』)をなおざりに出来るでしょうか(否、出来るはずがありません)。

 

善導大師が著した『観経疏』によって、まことの意味で浄土の御教えに開眼された元祖上人の御言葉であります。それまでの『観経』に対する見方は、禅定による観察(かんざつ)に主眼を置いたものだったと伝えられます。また善導大師の当時、唐初の中国仏教界では、足かけ16年にも及ぶインド・西域旅行から帰国した玄奘三蔵の訳業が一世を風靡していました。訳業は大部にわたり、その中には馴染み深い『般若心経』なども含まれます。しかし玄奘が最も関心を寄せていたのは唯識の学理の原典に即した究明であり、その教理に基づいた経論の理解でありました。玄奘によれば「凡夫が次の生において阿弥陀仏の報土に往生することは不可能で」あり、『観経』も凡夫に向けて説かれた教えではありません。

そうした風潮の中、観経に説かれている仏の真意が凡夫の救済にあること、そして他ならぬ韋提希夫人自身が凡夫であることをはっきりと示されたのが善導大師でありました。

法然上人が夢中で対面した弥陀の化身としての善導大師、その言葉をまさに仏の金言であると受け止め、何よりも凡夫としての御自身に向けられた教えであると信受された法然上人の真情が窺われる御法語であります。

合掌

和尚のひとりごとNo264「法然上人御法語第二十四」

前篇 第24 別時念仏(べつじねんぶつ)

gohougo~心をも身をも励ましすすむべきなり~

【原文】

時々(ときどき)別時(べつじ)の念仏(ねんぶつ)を修(しゅ)して、心(こころ)をも身(み)をも励まし、調(ととの)え、すすむべきなり。

日々(ひび)に六万遍(ろくまんべん)七万遍(しちまんべん)を称(とな)えば、さても足(た)りぬべき事(こと)にてあれども、人(ひと)の心様(こころざま)は、いたく目(め)慣(な)れ、耳(みみ)慣れぬれば、いらいらいと、すすむ心(こころ)少なく、明け暮れは悤々(そうそう)として、心(こころ)閑(しず)かならぬ様(よう)にてのみ疎略(そりゃく)になりゆくなり。

その心をすすめんためには、時々別時の念仏を修すべきなり。然(しか)れば善導(ぜんどう)和尚(かしょう)も懇(ねんご)ろに励まし、恵心(えしん)の先徳(せんとく)も詳しく教えられたり

道場(どうじょう)をもひき繕(つくろ)い、花香(けこう)をも供(そな)えたてまつらん事(こと)、ただ力の堪(た)えたらんに随(したが)うべし。また我(わ)が身(み)をも殊(こと)に清めて道場に入(い)りて、或(あるい)は三時(さんじ)、或(あるい)は六時なんどに念仏すべし。もし同行(どうぎょう)など数多(あまた)あらん時(とき)は、代(か)わる代(が)わる入(い)りて、不断念仏(ふだんねんぶつ)にも修(しゅ)すべし。斯様(かよう)のことは、各々(おのおの)、様(よう)に随(したが)いて計(はか)らうべし。

勅伝第21巻

dai24

【ことばの説明】

別時念仏(べつじねんぶつ)

あるいは如法念仏。特別な時間と場所(道場)を定めて、そこにおいてひたすらに称名念仏に励むこと。

これに対比して、通常の念仏を「尋常念仏(じんじょうねんぶつ)」、死に際して行う念仏を「臨終念仏(りんじゅうねんぶつ)」と呼ぶ。

別時念仏は念仏に対する懈怠(なまけ)や怠りを正す目的で実施されるものである。

 

 

然(しか)れば善導(ぜんどう)和尚(かしょう)も懇(ねんご)ろに励まし…

…恵心(えしん)の先徳(せんとく)も詳しく教えられたり

善導大師『観念法門』、恵心僧都源信『往生要集』にても、別時念仏の功徳が明かされ、勧められていること。

 

不断念仏(ふだんねんぶつ)

または常念仏。慈覚大師円仁が唐より将来した作法で、もとは比叡山で修された常行三昧(じょうぎょうざんまい)に含まれるもの。日時を定めて、間断なく念仏を唱え続ける行法。

浄土宗においては別時念仏の一環として、特定の日時にわたって昼夜を問わず口称の念仏をひたすらに行ずることが元祖上人の在世時より行われた。

 

 

【現代語訳】

時には別時の念仏を修めて、身も心もともに励まし、調子を整えて、(我が心を念仏へと)薦めていくべきです。

毎日のように六万遍も七万遍も唱え続ければ、確かにそれで念仏が不足しているという訳ではありません。しかし人の心の在り様というものは、例えば常に見慣れ、聞き慣れてしまうと、つい焦燥感がつのったり、その行為を薦めようという気持ちも薄れ、日々の暮らしに追われ、心穏やかな境地からはすっかり離れてしまい、結果的に念仏自体も

疎かとなってしまうものです。

そのような心の習わしを(念仏へと)誘おうとするのであれば、時には別時念仏を修めるべきであります。だからこそ彼の善導和尚は親身になって私たちに(この別時念仏を修めるよう)励ましの言葉を残し、徳高き先達である恵心僧都源信もそれは詳らかに教えて下さっています。

(別時念仏の為にと)道場を見事に設えたり、花や香を供えることについては、ただ力及ぶ範囲に留めて差し支えありません。また、特に自分の身体を浄めることは忘れずに、あるいは三時に及ぶ(6)時間にわたり、あるいは六時におよぶ(12)時間といった具合に念仏を行うべきです。またもし同じ志持つ者多数であるならば、代わる代わる交替で道場に入って修め、常に念仏の声が途切れることのない不断念仏として勤めるのが望ましいことでありましょう。このようなことは、その時々の状況・条件を考慮して決めて行けば宜しいのです。

 

 

時と場所を定めてひたすらに一行に徹するという行法は、古くは『般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)』に説かれる般舟三昧(仏立三昧 ぶつりゅうざんまい)や、天台の常行三昧(じょうぎょうざんまい)が知られますが、これらはその実践によって仏や浄土の姿を観想しようと試みる難行でした。それに対してここに説かれる別時念仏は、称名念仏の懈怠を正し、その価値を改めて認識させる為に行われるものであります。

仏の本願に誓われた念仏が口称念仏であることを明かした善導大師自身は、念仏三昧により三昧発得の人であったと伝えられています。念仏の功徳はかくあるべし。しかしながら善導大師そして法然上人が見出された口称念仏は、能力至らぬ凡夫がただひたすらに仏の名を称えることにより救われる教えでもあります。

時を変え、場所を変えることで、より一層の信心を持って、新たな気持ちで念仏が申せるのであればそうすればよい。念仏為先。元祖上人の思いがまじかに感じられる御法語であります。

合掌

和尚のひとりごと「一枚起請文と法然上人」

一枚起請文は元祖法然上人御自身に帰せられるもので、長年にわたり師事した勢観房源智(せいかんぼうげんち)上人の請いに応じて著わされました。時に建暦2年正月23日、実に往生を遂げられる2日前のこと、私たちはこの一枚起請文を、元祖を慕いその教えを守り伝える者たちに対して、念仏を斯く捉え実践すべきであると導いて下さっている御遺訓(ごゆいくん)または(制誡 せいかい)であると受けとめています。itimai

さて『一紙小消息(いっしこしょうそく)』とともに日々のお勤めでも拝読されることの多いこの『一枚起請文』、法然上人が残された遺文である御法語の中でも最も知られたものの一つです。


「智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし(知識ある者としての振舞いを忘れ、ただひたすらに念仏せよ)」、この一節に要約されるように、念仏の教えとその実践の肝要な点が述べられています。
江戸期の学僧義山は「広くすれば選択集 縮むれば一枚起請なり」、つまり詳しく述べれば『選択本願念仏集』となるが、その要点を約(つづ)めればこの『一枚起請文』となると断じました。『選択本願念仏集』は、一代仏教を全て学ばれた法然上人が、浄土の教えを全仏教の中に明確に位置づけ、その価値を宣揚した主著であります。

hounenn
また天竜寺の桂州(けいしゅう)禅師は「一紙に大蔵経を含むもの」と評しました。かつて法然上人は、比叡山中黒谷別所にあった報恩蔵(ほうおんぞう)に籠り一切経(大蔵経に同じ。インドより伝承された全ての教え)を五回通読し、漸く見出された「一心専念弥陀名号」の一文に弥陀の救済の真理を見出されました。その真理こそがこの御法語に表現されているのだから、まさに仏の教えの真髄がそこに含まれているという訳です。臨済宗の一休禅師も『狂雲集(きょううんしゅう)』で「伝え聞く法然生き如来」と記し、凡夫と同じ立場から語りかけるこの御法語を称えます。
「浄土宗の安心起行この一紙に至極せり(浄土宗の安心・起行(信仰と行い)はこの一紙に極まっている)」と締めくくられるこの『一枚起請文』とともに、元祖 三日月(みかづき)の御影が私たちを見守って下さっている掛軸が玉圓寺に伝えられています。
「月影を雲の上にてうつしては西へ行べきしるべとも見よ」
三日月の御影は建久二年の春、後白河法皇の勅によりて右京権大夫隆信(うきょうのごんのだいぶたかのぶ)が法然上人の真影をうつしたものに始まり、自身も生涯に亘り上人を崇敬したと伝えられています。紫雲(しうん)は奇瑞(きずい)の証(あかし)、まさに遭い難き仏法の妙味が元祖の御姿(みすがた)を通して表れでているようです。
これからも寺宝として守り伝えて参ります。

 

玉圓寺蔵 月影の御影

玉圓寺蔵 月影の御影

和尚のひとりごとNo254「法然上人御法語第二十三」

前篇 第23 一枚起請文(いちまいきしょうもん)gohougo

~ただ一向に念仏すべし~

 

【原文】

もろこし我が朝(ちょう)に、もろもろの智者達(ちしゃたち)の沙汰(さた)し申(もう)さるる、観念の念にもあらず。また学問をして、念の心をさとりて、申す念仏にもあらず。

ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑いなく往生するぞと思い取りて申す外(ほか)には別(べつ)の仔細(しさい)候(そうら)わず。

ただし三心(さんじん)・四修(ししゅ)と申すことの候(そうろ)うは、皆(みな)決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。

この外(ほか)に奥深きことを存(ぞん)ぜば、二尊(にそん)のあわれみに外れ、本願にもれ候うべし。

念仏を信(しん)ぜん人は、たとい一代(いちだい)の法をよくよく学(がく)すとも、一文不知(いちもんふち)の愚鈍(ぐどん)の身になして、尼(あま)入道(にゅうどう)の無智(むち)のともがらに同(おな)じうして、智者のふるまいをせずして、ただ一向(いっこう)に念仏すべし。

証(しょう)の為に両手印(りょうしゅいん)を以(もっ)てす。

浄土宗(じょうどしゅう)の安心(あんじん)・起行(きぎょう)、この一紙(いっし)に至極(しごく)せり。源空(げんくう)が所存(しょぞん)、此(こ)の外(ほか)に全く別義(べつぎ)を存(ぞん)ぜず。滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)をふせがんがために所存を記し畢(おわ)んぬ。

建暦(けんりゃく)二年正月(しょうがつ)二十三日

大師在御判(だいしざいごはん)

dai23

 

【ことばの説明】

一枚起請文(いちまいきしょうもん)

 起請文とは、自己の行動を遵守履行する旨を、神仏に対して誓った文のこと。平安末期に始まり南北朝時代以後盛んになった。この一枚起請文では、一枚の紙に念仏の教えの奥義を記して、その内容に一切間違いがないことが神仏の前に誓われている。

 

もろこし

「唐土」すなわち中国の古称。

 

観念の念(かんねんのねん)

観想の念仏とも言う。仏の相好(すがたかたち)や、仏国土(浄土)の様相を思い描くこと。浄土思想を説く経典の中では、比較的ポピュラーな修行法(観法)であったが、浄土宗では口で仏の御名を唱える口称念仏(称名念仏)こそが正義であるとしている。ただし所依の経論に含まれる世親菩薩の『往生論』に説く五念門(浄土門において要となる五つの実践法)には、第三に作願門と第四の観察門が明示され、これはそれぞれ禅定の止観を示す「奢摩他(しゃまた)」、「毘婆舎那(びばしゃな)」に当たるとされている。これはまさに仏の国土や阿弥陀仏自身、浄土の菩薩等の荘厳を思い浮かべることである。

 

三心(さんじん)・四修(ししゅ)

「三心」は念仏による往生を願う者が持つべき三つの心構え。至誠心(しじょうしん)・深心(じんしん)・回向発願心(えこうほつがんしん)のこと。総じて表現すれば、まことの心を持って、自身の至らなさと仏の引接(いんじょう)を深く信じ、全身全霊を持って浄土への往生を願う心。

「四修」とは往生を願う者が保つべき実践態度のことで、恭敬修(くぎょうしゅ)・無余修(むよしゅ)・無間修(むけんじゅ)・長時修(じょうじしゅ)の四。恭(うやまい)の態度を持ち、専ら阿弥陀仏とその浄土に関わる行を一生涯にわたって継続することを意味する。

 

二尊(にそん)

釈迦仏と阿弥陀仏のこと。釈迦仏(釈尊)は発遣の教主(はっけんのきょうしゅ)と呼ばれ、この世界(娑婆世界)の住人である私たちに対して、阿弥陀如来の浄土の存在を示しそこへ向かうように勧める役割を担い、阿弥陀仏は来迎の本尊(あるいは招喚教主 しょうかんきょうしゅ)と呼ばれ、実際に浄土願生者を迎えとるべく来る仏であるとされている。この事情を、善導大師は『観経疏』玄義分において「釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎したまう」と記している。

 

尼(あま)入道(にゅうどう)

「入道」とは未だ正式の修行や学問を経ていない僧侶(僧侶の恰好をしていても実際には在家と変わりない存在)を指す。「尼」とは女性の出家者、もしくは女性の入道であると解釈される。

ここでは智者との対比において、智慧なく愚かな者たちを代表する存在として記されている。

 

安心(あんじん)・起行(きぎょう)

「安心」は詳しくは「安置」と「心念」のことで、本来は修業の成果として、心が散乱することなく安定し、信仰心が定まっている状態を指したが、浄土宗の立場では、凡夫の散乱心のままで、極楽往生を確信できること(決定往生 けつじょうおうじょう)を意味している。法然上人によれば「安心といふは心遣いのありさま」であり、上記の「三心」に他ならないとされる。

「起行」とは「安心」に基づく身的行為で、身・口・意の三業をもって阿弥陀仏の西方極楽浄土への往生の為に行う行為である「五念門(ごねんもん))、五種正行(ごしゅしょうぎょう)」を指す。これは世親の『往生論』に明示される、専ら阿弥陀仏とその浄土に関わる五つの実践方法のこと。

浄土宗では、浄土願生者の心構えと実践を「安心・起行・作業(さごう)」で総括するが、その「作業」とは上に述べた「四修」を指している。

 

邪義(じゃぎ)

教義本来の意味(もしくは宗祖の意図したところ)から離れた誤った解釈。

 

建暦(けんりゃく)二年正月(しょうがつ)二十三日

建暦二年は西暦1212年、法然上人が80歳の生涯を閉じられた二十五日の二日前に託されたのがこの一枚起請文であることから、この一枚起請文は元祖上人の御遺訓(ごゆいくん)として日々拝読されている。

 

 

【現代語訳】

(私のいうところの念仏は)中国や日本において、まことに数多くの智慧者・先達たちが議論を戦わせてきた(仏の御姿を心に念ずる)観想の念仏ではありません。また書物を通して学問を極めたうえで、念仏の意味を理解して称えるところの念仏でもありません。

ただ極楽浄土へ往生を遂げるためには、南無阿弥陀仏と唱えれば間違いなく往生できるのだと思い、心を定めて、称えるほかに特別の配慮も要りません。

ただし(往生を遂げるには)三心や四修と呼ばれる念仏者の在り方が求められますが、それらは皆「必ず南無阿弥陀仏によって往生するのだ」という気持ちを持つことの中で自ずと具わるものなのです。

もし私が今述べてきたこと以外に、さらに奥深い意味を心の中に秘めているとしたならば、(釈尊と弥陀の)二尊がお示し下さっている大慈悲を蒙ることができない、つまり彼の仏の(衆生救済の)本願から漏れ出てしまうことになるでしょう。

(かような)念仏をこころから信じようとする者は、仮に釈尊がその生涯をかけて説かれた教えの全てを悉く学びつくしたとしても、(自分をあたかも)文字の一つも知らない愚かな者であると受けとめて、尼や入道のような無知な者たちと同じであると見なして、智者のように振る舞うことなく、ただ実直に念仏をおこなうべきです。

以上、述べてきた内容に間違いがないことを両手印をもって証明いたします。

浄土の教えにおけるあるべきこころの在り方と実践(当為)は(いま記した)この一紙にすべて尽されています。

(私)源空の考えは、これ以外に特別なことは何一つありません。

私亡きあとに、本来の趣旨から外れた見解が出てくるのを恐れて、今思うところを記し終わりました。

時に建暦(けんりゃく)二年正月二十三日

源空 花押(法然上人の署名と印)

 

 

「起請(誓い)」であるとも、弟子たちへの「制誡(いさめ)」であるとも受け取られるこの一枚起請文は、朝な夕なに私たちのお勤めにおいて日常的に拝読される最も有名な御法語です。まさに建暦二年正月二三日当日、愛弟子の勢観房源智上人の請いに応えて著わされたとも伝承され、示寂の直前に記されたことからあたかも遺言の如く受け取られてきました。

その内容は元祖上人の考える「念仏」がいかなるものであるか、そのことを改めてはっきりと宣言され、それ以外に一切の秘め事がないことを明言されています。

釈尊はその生涯の最後に仰りました。

「何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は、存在しない」

仏が示された教えに従い、「智者の振舞いをせず、あたかも愚者の如く、ただ一向に念仏すべきである」

元祖上人の御言葉をそのまま信受すること、それこそが私たち凡夫にとり、弥陀により来迎・引接という最大の救いの契機となることを改めて実感させてくれる御法語であります。

                                                  合掌

 

和尚のひとりごとNo244「法然上人御法語第二十二」

前篇 第22 無常迅速(むじょうじんそく)gohougo

~夕べに結ぶ命露の如く~

 

【原文】

それ、朝(あした)に開(ひら)くる栄花(えいが)は夕(ゆうべ)の風(かぜ)に散り易く、夕べに結ぶ命露(めいろ)は、朝の日に消え易し。これを知らずして常に栄えん事を思い、これを覚(さと)らずして久(ひさ)しくあらん事(こと)を思う。

然る間、無常の風ひとたび吹きて、有為(うい)の露(つゆ)、永(なが)く消えぬれば、これを曠野(こうや)に捨て、これを遠き山に送る。屍(かばね)は遂に苔(こけ)の下に埋(うず)もれ、魂(たましい)は独(ひと)り旅の空に迷う。妻子眷属は家にあれども伴わず、七珍万宝(しっちんまんぼう)は蔵(くら)に満(み)てれども益(えき)もなし。ただ身(み)に随うものは後悔(こうかい)の涙(なみだ)なり。

遂に閻魔(えんま)の庁(ちょう)に至(いた)りぬれば、罪の浅深(せんじん)を定め、業(ごう)の軽重(きょうじゅう)を勘(かんが)えらる。法王(ほうおう)、罪人(ざいにん)に問(と)うて曰く、「汝(なんじ)、仏法(ぶっぽう)流布(るふ)の世(よ)に生まれて、何(なん)ぞ修行せずして徒(いたずら)に帰(かえ)り来(き)たるや」と。その時(とき)には、我等いかが答(こた)えんとする。

速やかに出要(しゅつよう)を求めて、虚しく三途(さんず)に還(かえ)ることなかれ。

(勅伝第32巻・登山状)

dai22

 

【ことばの説明】

無常迅速(むじょうじんそく)

「無常」とは人の世を含めた万物が常に生滅(しょうめつ)変化を免れず、移り変わっていくこと。

その様相が私たちが思う(期待する)より遥かに早いことを「無常迅速」と表現している。

寺院で時を知らせる合図として叩かれる板木(ばんぎ)に記されている文言が、「生死事大、無常迅速、各宣醒覚、謹勿放逸(しょうじはじだいにして むじょうじんそくなれば おのおのよろしくせいかくして つつしんでほういつなることなかれ)」

生き死にの問題は最も大切なことであり、世の移り変わりが迅速であれば、皆それそれがそのことに眼をそらさずに、怠ける事なく精進すべきである(『六祖壇経』)。

釈尊の遺誡として伝えられるのが次の一節である。

「さあ、修行僧たちよ、わたしはいまお前たちに告げよう、

もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠けることなく修行を完成なさい。」(中村 元訳)。

全てが無常であれば、今この瞬間に生死を離れる心を持つことこそが肝要であるとの教えであり、仏教の根幹である。

 

無常の風

死のこと。吹く風が花を散らすことに喩えて、生命が果てることを表現する。

 

有為(うい)

因縁(原因と条件)によって成立し、消滅変化する在り様を表現する。有為は刹那滅(せつなめつ)であるとされ、一瞬たりとも同じ姿を留めていない。原語はsaṃskṛta(サムスクリタ)で、諸行無常の諸行(saṃskāra、サンカーラ)と同じ語源から発している。諸行は有為であり無常である、つまりこの世のあらゆる現象は、原因や条件が重なった結果現われているものであり、実体として常に存在し続けられるものではない。従ってそれを求め、執着することが苦悩を生む。

有為に対して「無為(asaṃskṛta、アサムスクリタ)」を立てる際は、覚りの境地である涅槃や、物事が運動するのに必要な空間である虚空などをそれに当てるが、それは当初からあった考え方ではない。無為とは因果による生滅変化を離れた在り様のこと。

 

閻魔(えんま)

yama(ヤマ)と呼ばれた神格で、古く『リグ・ヴェーダ』時代には、史上で最初の死者であり、死者の国である天界を司る王となったとされたが、次第に死者の審判者としての性格が顕著となる。仏教では地獄を掌つかさどる閻魔大王と、欲界天の一である夜摩天(やまてん)の二者がそれに相当する。

仏教経典中に現われる古い例は『増一阿含経(ぞういつあごんぎょう)』で、生前の悪業の報いで地獄に堕ちてしまった者が閻羅王(えんらおう)の前で罪業を糾弾される様が描かれている。

 

出要(しゅつよう)

出離の要道。生死を繰り返す輪廻から解脱する方法のこと。

 

【現代語訳】

そもそも、朝に咲いたいとも艶(あで)やかなる花も、同じ日の夕刻に吹く風に散り易く、夕暮れ時の草木を彩る命の露も、翌朝(よくちょう)の朝日によって散り散り(ちりぢり)となることまことにた易い。これを知らないからこそ、永遠(とわ)に続くであろうと身の繁栄を期待し、これを理解しようとしないからこそ、いつまでも寿命尽きることなく、生きていたいなどと願うのです。

そうこうしている間に、ひとたびでも無常の風が吹き来り、因縁和合の仮の姿、儚(はかな)き露のような生命が断たれてしまえば、私たちもいずれは果て無き荒野に打ち捨てられ、あるいは遠い山奥に送られることでしょう。屍(しかばね)もとうとう苔(こけ)むす土に埋められ、魂は孤独にあてなき旅路に迷うことになります。妻や子供や、親兄弟も、たとえ親類縁者一堂に会するが如く、一つ屋根の下に暮らしていたとしても、死にゆく旅路において付き添ってくれることは決してありません。蔵には金銀財宝溢れていたとしても、そこでは何の役にも立たないでしょう。その時にただ我が身を苛(さいな)む思いは後悔の念のみであります。

さていよいよ閻魔大王が待つ審判の場に立たされるならば、我が身が生前重ねてきた悪しき行いの深さが見定められ、善悪の行いの重さが量られます。大王が罪人である私たちに尋ねてこのように糺(ただ)すことでしょう。

「汝は、釈尊が説かれた教えが広まる世界に生を受けながら、何故、道を修めず虚しくも再びこの場に戻って来たのであるか」

そう問われたとき、私たちはどのように答えたらよいのでしょうか?

一刻も早く、この迷いの生死輪廻の世界を解脱する道を求めて、もはやふたたび虚しくも三悪道に立ち返ってくることのないようにしなければなりません。

 

 

ブッダの言葉を引用します。

何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?ー世間は常に燃え立っているのにー。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?-『ブッダの真理のことば(ダンマパダ)』(中村元 訳)より

無常なる世界に生を受け、まさに無常の風そのものとして生きる私たちにとり最も大切なこと、それは無常であるからこそ、与えられた一瞬一瞬を無駄にすることなく、大切にそして懸命に生ききることだと思います。一寸先は闇と言われる如く、今年、生を謳歌していた者も、翌年には死出に旅立っているかもしれない、確実なことを言えば、今この瞬間に生きている私たち、これらの愛おしい人々の大半は、百年後には鬼籍の人となっているでしょう。

六道輪廻と言われる苦しみのサイクルから抜け出す道、凡夫であるからこそ、迎えとられていく西方浄土への往生の道は、この瞬間にも釈尊によって私たちに示されている。

生死輪廻の世界を解脱する道を心から願い、仏の示された道を歩んでいくべきである、法然上人の御言葉であります。

合掌

和尚のひとりごとNo229「法然上人御法語第二十一」

前篇 第二十一 精進(しょうじん)

~断ち難き煩悩、抜け難き連鎖~gohougo

 

【原文】

あるいは金谷(きんこく)の花(はな)を弄(もてあそ)びて遅々(ちち)たる春(はる)の日(ひ)を虚(むな)しく暮らし、あるいは南楼(なんろう)に月(つき)をあざけりて漫々(まんまん)たる秋(あき)の夜(よ)を徒(いたず)らに明(あ)かす。

あるいは千里(せんり)の雲(くも)に馳(は)せて山(やま)の鹿(かせぎ)を捕(と)りて歳(とし)を送(おく)り、あるいは万里(ばんり)の波に浮(う)かびて海の鱗(いろくず)を捕(と)りて日(ひ)を重(かさ)ね、あるいは厳寒(げんかん)に氷を凌(しの)ぎて世路(せろ)を渡(わた)り、あるいは炎天(えんてん)に汗を拭(のご)いて利養(りよう)を求め、あるいは妻子(さいし)眷属(けんぞく)に纏(まと)われて恩愛(おんない)の絆(きずな)、切り難し。あるい執敵(しゅうてき)怨類(おんるい)に会いて瞋恚(しんに)の炎(ほむら)、止むことなし。

惣(そう)じてかくのごとくして、昼夜(ちゅうや)朝暮(ちょうぼ)、行住(ぎょうじゅう)坐臥(ざが)、時(とき)として止むことなし。ただほしきままに、飽(あ)くまで三途(さんず)八難(はちなん)の業(ごう)を重(かさ)ぬ。

然(しか)れば或(あ)る文(もん)には、「一人(いちにん)一日(いちにち)の中(うち)に八億四千(はちおくしせん)の念(ねん)あり。念々(ねんねん)の中(うち)の所作(しょさ)、皆(みな)是(こ)れ三途(さんず)の業(ごう)」と云(いえ)り。

かくのごとくして、昨日(きのう)も徒(いたず)らに暮(く)れぬ。今日(きょう)もまた、虚(むな)しく明けぬ。いま幾たびか暮らし、幾たびか明かさんとする。

(勅伝第32巻・登山状)

dai21-1

 

 

 

【ことばの説明】

精進(しょうじん)

仏道に適った行いに邁進すること、努力すること。原語はvīrya(ヴィールヤ)またはvyāyāma(ヴィヤーヤーマ)で、戦うこと、勇敢であることを意味する語根から派生したことば。

五根(ごこん)、五力(ごりき)、七覚支(しちかくし、七菩提分に同じ)や大乗菩薩の修行徳目である六波羅蜜(ろっぱらみつ)にも数えられる、仏道修行における最も基本的な徳目のひとつ。

 

金谷(きんこく)

中国晋の高級官吏であった石崇(せきそう 249~300年)の別荘である金谷園(きんこくえん)のこと。石崇は大富豪でもあり、誠に豪奢な暮らしぶりで知られていた。金谷園は現在の河南省洛陽の西北に位置する渓谷にあったと伝えられている。

 

南楼(なんろう)

征西将軍であった東晋の庾亮(ゆりょう)が月を賞詠したと伝えられる武昌江夏の名勝。武昌は現在の湖北省武漢市に位置する。

 

海の鱗(いろくず)

魚など、うろこのある水生生物のこと。うろくず。

 

瞋恚(しんに)

原語はdveṣa(ドゥヴェーシャ)で心のままにならないことに対する怒りや苛立ち。

数ある煩悩の中で最も強く根本的な三毒(三垢 さんく)のひとつに数えられる。

 

三途(さんず)八難(はちなん)

「三途」とは、悪業の結果として赴く地獄道・餓鬼道・畜生道と呼ばれる苦しみ多い境涯のこと(三悪道)。「八難」とは覚りを得るに当たった八種の困難のこと。『長阿含経』には三悪道に堕ちることに加えて、長寿天(ちょうじゅてん)や辺地(へんじ)と呼ばれる快楽ある世界に生まれること、また邪(よこしま)な見解に陥ること、十分な感覚器官を具えないこと、仏陀が出現する時代に生まれつかないことなどが八難として列挙されている。

 

或(あ)る文(もん)には…

道綽『安楽集』が引用する一節で昭玄沙門統曇曜の訳であると伝承される『浄土菩薩経(浄度三昧経)』に基づいている。

道綽禅師は、北斉の時代(562年)から唐の貞観19年(645年)まで在世した浄土教の祖師のひとり。全仏教を聖道門と浄土門に分けて、末法の凡夫である我々の機根に相応するのが後者であるとした。生涯の前半は涅槃経の研究者として名を馳せたが、次第に実践に重きを置くようになり、曇鸞大師を慕って浄土教に帰入、玄中寺を拠点として念仏の実践を広めた。

 

【現代語訳】

ある時は、金谷に咲き誇る花を愛でて、春うららかな心地よさの中で中身のない日々を費やし、またある時は、南楼の高見より明月(めいげつ)を楽しみ、秋の夜長を意味もなく過ごしてしまう。

ある時は、千里の雲の彼方にまで足を伸ばして山々をかけ鹿を追いながら幾年月(いくとしつき)を送り、ある時は、万里の波間を漂いながら魚を捉えて歳月を送り、ある時は厳しい寒さの中で氷を分け入り生計をつなぎ、またある時は炎天下に汗を拭い拭い財を求めているのが私たちの姿です。

さらにある時は、妻子や親兄弟に頼られ、その情愛を断ち切れずにおり、またある時は、仇敵・怨み深い相手に出遭う事でついに燃え盛る怒りの炎を消すことが叶いません。

凡そこのように人というものは、昼も夜も、明けても暮れても、日々の全ての場面にわたり、一時(いっとき)もこうした(迷いの)状況から抜け出し、身を引くことが出来ないのです。ただ心の赴くままに、どこまでも際限なく、三つの苦しみ多き境涯・覚りの境地に向かうにはほど遠い八つの難所ばかりを歩んで、悪しき行いを繰り返してしまうものなのです。

これらを踏まえて或る経典には「人として生を受けて、ほんの一日を過ごしただけで、実に八億四千ものさまざまな想いが湧き起こるが、それらの想いを抱いて行う行為ひとつひとつが悉く三つの苦しみ多き境涯へと導く悪しき行いとなるのである」と記されています。

このような訳で、つい昨日も(まさに今まで述べてきたように)虚しく終わってしまい、そして今日も同様に虚しく朝を迎えました。さらにこれからも、どれだけの夜を迎え、どれだけの朝を迎えることになるのでしょうか?

 

 

法然上人御法語の劈頭を飾る『難値得遇(なんちとくぐう)』は、遭い難き仏の教えに出会えたありがたさが語られていました。その最後に「然るを、今、遇い難くして遇う事を得たり。徒(いたず)らに明(あ)かし暮らして止(や)みなんこそ悲しけれ」とありました。ようやく出会えた教えに基づき、実践していくことが出来るのに、ただなんとなくぼんやりと日々を過ごしてしまう、それこそ悲しむべきことではないか?

今回の前篇第二十二はそれに続く内容となっています。

「あるいは千里の雲に馳せて山の鹿を捕りて歳を送り、あるいは…」これらは身体を酷使してでも働かざるを得ない生活苦を表現し、「妻子眷属に纏われて」の「恩愛の絆」は家を持ち、家族を守る上で必ず味わう断ち難き情愛の絆を表し、また「執敵怨類に会いて」の「瞋恚の炎」も、日々私たちを悩ます感情であります。

ただ生きていく上でも、誠に多くの想いがこころを去来し、そのひとつひとつが行いを悪しき方向に動機付け、苦しみの連鎖を生む原因となっている。この御法語に描かれるのは、まさにそのような絶望的な状況であると思います。

合掌

和尚のひとりごとNo224「法然上人御法語第二十」

前篇 第20 難修観法(なんじゅかんぼう)

~修め難き行への未練を捨てよ~gohougo

【原文】

近来(ちかごろ)の行人(ぎょうにん)、観法(かんぼう)をなす事(こと)なかれ。仏像を観(かん)ずとも、運慶(うんけい)康慶(こうけい)が造(つく)りたる仏(ほとけ)程(ほど)だにも観(かん)じ現(あら)わすべからず。極楽(ごくらく)の荘厳(しょうごん)を観(かん)ずとも、桜梅桃李(ようばいとうり)の花菓(けか)程(ほど)も、観(かん)じ現(あら)わさんこと、難(かた)かるべし。

「彼(か)の仏、今(いま)現(げん)に世(よ)に在(ましま)して成仏(じょうぶつ)し給(たま)えり。当(まさ)に知(し)るべし、本誓(ほんぜい)の重願(じゅうがん)、虚(むな)しからざることを。衆生(しゅじょう)称念(しょうねん)すれば、必(かなら)ず往生(おうじょう)を得(う)」の釈(しゃく)を信じて、深く本願を頼(たの)みて、一向(いっこう)に名号(みょうごう)を称(とな)うべし。名号(みょうごう)を称(とな)うれば、三心(さんじん)、自(おの)ずから具足(ぐそく)するなり。

(勅伝第21巻)

dai20

 

【ことばの説明】

難修観法(なんじゅかんぼう)

観法(かんぼう)

「観法」は、観察(かんざつ)の行によって覚りの境地を目指す修行法。観察の対象は、現象としての法や自己の心の動き、仏法の真理そのものや仏・仏国土の姿形など、文献や宗派等によりまちまちであるが、智慧によって対象を正しく見極めようとする点では共通である。「観」はvipaśyanā(ヴィパッシャナー)と言い、物事を見る、思うを意味する言葉に由来する。

「難修」は修め難いこと。つまり「難修観法」は修めることが非常に困難な観察行を意味している。

 

近来(ちかごろ)

字義通りでは最近、昨今という意味だが、末法に入らんとするこの頃というニュアンスが込められている。末法(まっぽう)あるいは末世(まっせ)という見方は、仏教の開祖である釈尊が入滅した時から、最終的に仏法が滅びてしまうまでの期間を三つの段階に分ける三時説に由来する。まず正法の時代には、つまり釈尊滅後しばらくの期間は、釈尊が説かれた教えの通りに実践修行がなされ、その結果として覚りを得る者も少なからず存在する。続く像法の時代には、教えと行は伝えられるが、その結果として覚り(証)を得る者がもはや存在しない。さらに末法になると教えのみが残り、教えの通りに実践する者も覚りを得る者もない時代となり、やがて法滅を迎えると説かれている。法然上人当時は仏滅を紀元前949年とする説に則って永承7年(1052年)には末法に入ったと考えられ、実際に戦乱や天変地異が起こり始めたと言う。

このように仏教そのものが次第に衰退していくという歴史観は、仏教の故国インドへの異民族の侵入などの歴史的事件が大きな影を落としており、実際に末法思想を強調する事で有名な『大集経(だいじっきょう)』月蔵分(がつぞうぶん)や『蓮華面経(れんげめんぎょう)』を訳した那連提耶舎(なれんだいやしゃ、ナレーンドラヤシャス)は、西北インドに侵入したエフタル族の迫害を目の当たりにしていたと言われている。後世チベットに伝えられた『時輪タントラ』(カーラチャクラ・タントラ)はインド密教の掉尾を飾る密教経典であるが、そこには既にイスラム教の侵入によって滅びんとしているインド仏教の姿とその復興が晩年の釈尊によって暗示され、密教のみが流通する復興までの期間がまさに末法の時代として描かれている。

 

運慶(うんけい)康慶(こうけい)

運慶は貞応2年(1223年)頃、法然上人の在世と重なる平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍した仏師。奈良時代の写実と平安初期の力強い重量感を取り入れて新しい様式を確立、それは特に台頭しつつある東国の武士たちに好まれ、鎌倉彫刻に多大な影響を残したと評価されている。

康慶はその父で、南都を拠点とする仏師集団・慶派(けいは)の頭領だった。

 

荘厳(しょうごん)

原語はvyūha(ヴィユーハ)で、元々は「飾り、配列」を意味し、見事に配置されている、美しく飾られていることを表現するようになった。『阿弥陀経』の原名はSukhāvatī-vyūha(スカーヴァティー・ヴィユーハ)でその意味は「極楽(安楽ある場所)の荘厳」である。

極楽の荘厳と言う場合は、極楽浄土の美しい様であり、それはまさにその仏国土を建立した仏の威神力(偉大なる力)によって生じたものであるとされる。

 

 

本誓(ほんぜい)の重願(じゅうがん)

「本誓」は本願に同じ。阿弥陀仏が仏となる以前の修行時代に立てた誓願(誓い)の意味。原語pūrva-praṇidhānaは「以前の誓願」を意味する。「重願」は深く荘重な誓願、四十八願中の念仏往生願(第十八願)のこと。

 

【現代語訳】

(末法を迎える)今のような世相で、仏道修行を志さんとする者は、観察の行法を行ってはなりません。(それはたとえ)仏の御姿を観想しようとしても、結果得られるイメージは(貧弱であり)、(彼の)運慶や康慶(という著名な仏師)が造形する仏像ほどにも、生き生きと鮮やかな姿を思い浮かべることなど出来はしないからです。(同様に)極楽浄土のそれは見事であろう荘厳を観想しようとしても、(我々が日常的に目にする)桜や梅や桃や李(すもも)の果実(かじつ)にさえも及ばぬ姿しか思い浮かべることが出来ないでしょう。

「彼の仏(である阿弥陀仏)は、まさにこの今、この瞬間に、我々の住むこの宇宙に現存し、仏となっておられる。まさによく理解すべきである。阿弥陀仏が、仏となる以前に誓われた誓願(である第十八願)は確実に成就しているのだということを。(すなわち)衆生が称名念仏すれば必ず往生できるのだ」という(善導大師の)解釈を心から信じ、本願を頼りとして、ただひたすらに(阿弥陀仏の)名号を称えるべきです。(このように)名号を称えれば、三心(という往生に必要な心)は自ずと具わってくるのですから。

 

伝統的に覚りを目指す仏道修行に観法(観察の行法)は不可欠なものでした。

釈尊は菩提樹下での禅定観察により、この世の実相が無常転変(むじょうてんぺん)極まりないことを見通され仏陀となりました。

大乗唯識(ゆいしき)の理(ことわり)は、瑜伽(ヨーガ)によって体得され、我が浄土門においては観察行は修めるべき五つの修行(五種正行)に数えられています。

しかしながら法然上人の時代、世は次第に末法に入りつつあると信じられていました。少なくとも数多くの民衆にとり、天変地異が続発し、疫病が蔓延し、戦乱が続く世の中は、まさに末世の様相を呈していたことでしょう。仏の教えは存続していても、それを実践する者もいなければ、覚りを得る者も存在し得ない世界、そのような末法に生きるごく普通の人(凡夫)である私たちに、果たして観法を実践していくことが出来るでしょうか?勝れて集中力と忍耐を必要とし、一心不乱に邁進することが許されるような環境でこそ行える、つまり難修難行であります。

末法はかつて娑婆世界に生を受け我々を導いた釈尊自身が予告した仏なき世界、修行なき世界です。教えはあっても実践が決してままならぬ、そうした無仏の世において、一すじの光明となったのが阿弥陀仏による救済の教えでした。

阿弥陀仏の本願を信じ、その通りに念仏を実践すること、それが私たちに示された凡夫が救われゆく唯一の道であります。そして、実践の中で心が作られ、念仏による往生を心から信じることができるようになる。称念と三心が相即しているという元祖上人の立場が明確に示された御法語だと思います。

合掌

和尚のひとりごとNo199「法然上人御法語第十九」

前篇 第19 乗仏本願(じょうぶつほんがん)

~信が往生へと導く~

 

【原文】gohougo

他力本願(たりきほんがん)に乗(じょう)ずるに二つあり。乗(じょう)ぜざるに二つあり。乗ぜざるに二つというは、一つには、罪を造るとき乗ぜず。その故は、「かくのごとく罪を造れば、念仏申すとも往生不定(おうじょうふじょう)なり」と思うときに乗ぜず。

二つには、道心(どうしん)の発(おこ)るとき乗ぜず。その故は、「同じく念仏申すとも、かくのごとく道心ありて申(もう)さんずる念仏にてこそ往生はせんずれ。無道心(むどうしん)にては、念仏すとも叶(かな)うべからず」と、道心(どうしん)を先(さき)として、本願を次に思うとき乗(じょう)ぜざるなり。

次に、本願に乗ずるに二つの様(よう)というは、一つには罪造るとき乗(じょう)ずるなり。その故は、「かくのごとく罪を造れば、決定(けつじょう)して地獄に堕(お)つべし。しかるに本願の名号を称(とな)うれば、決定(けつじょう)往生せん事のうれしさよ」と悦(よろこ)ぶときに乗ずるなり。

二つには、道心発(おこ)るとき乗ずるなり。その故は、「この道心にて往生すべからず。これほどの道心は、無始(むし)よりこのかた発(おこ)れども、いまだ生死(しょうじ)を離れず。故(かるがゆえ)に、道心の有無(うむ)を論ぜず、造罪(ぞうざい)の軽重(きょうじゅう)を言わず、ただ本願の称名(しょうみょう)を念々(ねんねん)相続(そうぞく)せん力(ちから)によりてぞ、往生は遂(と)ぐべき」と思うときに、他力本願(たりきほんがん)に乗ずるなり。

(勅伝第21巻)

dai19-1

dai19-2

【ことばの説明】

乗仏本願(じょうぶつほんがん)

阿弥陀仏の本願の力に身を任せて往生を遂げること。

善導大師の『発願文』には次のようにある。

「聖衆現前 乗仏本願 阿弥陀仏国 上品往生(聖衆現前(しょうじゅげんぜん)したまい、仏(ほとけ)の本願に乗じて、阿弥陀仏国(あみだぶっこく)に上品往生(じょうぼんおうじょう)せしめたまえ」

「命終わるまさにその時、極楽浄土の聖なる者たち(仏・菩薩)が眼前に現われ、阿弥陀仏の本願の力に乗って、極楽世界の最高の位に往生を果たさんことを」

善導大師の切なる願いが込められている。

 

他力本願(たりきほんがん)

阿弥陀仏の本願に基づく救済の力、本願力のこと。

「他力」は自らではなく他なる仏の力のこと、「本願」はその救済の力を指しており、意味は同じ。

 

道心(どうしん)

菩提心(bodhi-citta、ボーディチッタ)の意訳で、菩提(覚りの智慧)の獲得を目指す心の意味。詳しくは阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん)、意味をとって「無上正等覚心(むじょうしょうとうがくしん)」などと訳される。この場合は仏と同等の最高の覚りを目指す心を表現している。

広く衆生の救済を理想とする大乗仏教に至って強調されるようになった言葉で、求道者である菩薩が必ず持たなければならない心(決意)であり、大乗菩薩道の出発点となる。

しかしながら『選択集』でも説示されるように、法然上人にとっては菩提心は往生に対して必ずしも必要なものではなかった。また諸宗によって菩提心の義は不同であること、つまりその拠って立つ立場により、菩提心の意味合いも同一ではないことを述べて、ただ善導大師が理解する菩提心の解釈によるべきであるとされる。

これに対して華厳宗の明恵は、法然上人の理解には「菩提心を撥去する(軽んじる)過失」があると批判の目を向けた。

 

罪を造れば…地獄に堕(お)つべし

罪をつくる行いが地獄への生まれ変わりの原因となる。インド以来変わらぬ根本原則として自業自得という考え方がある。自ら為した行い(業)の報いは、それを為した者がいつか必ず引き受けなければならない。悪業が因となって苦なる果を生むときも、善業が因となって楽なる果を結ぶ際も全く同様に。仏教において自らの行為を律する道徳律を支える厳格な法則である。しかしながらそれにも関わらず、悪業を為した者さえも阿弥陀仏の本願によって救済されゆく姿が描かれることになる。

「地獄」はnaraka(奈落、ならく)またはniraya(ニラヤ)がその原語であり、地下深き闇の世界という意味を持つという。単純に死後の世界として表象される際は、経験を超えた死後の世界というものが、釈尊が本来「無記」として語らなかった形而上学的領域に属する以上、教えを説く際の方便として利用されたか、歴史の経過に応じて徐々に民間信仰が取り入れられていったものと想像される。輪廻思想を釈尊がどの程度許容していたか、あるいは全く認めていなかったかについては結論が出ていない。いずれにせよ我々に馴染み深い地獄や六道輪廻の在り様は、平安時代の源信僧都の『往生要集』、そしてそれが基づくアビダルマ文献に描かれる他界観に基づいていると言われている。

 

本願の名号

阿弥陀仏の六時名号であるが、本願の中で浄土往生の為の行として選び取られた称名念仏のことを指す。

 

無始(むし)

始まりがない様、あるいは始まりが辿れないほど遥か昔から、という意味。

無始無終(むしむしゅう)と言うときは、始めもなく、終わりもない無限性を表す。この場合は生まれ変わりの輪廻には、始まりというものがないと考えることからこのように表現する。

 

生死(しょうじ)

生まれ死に、再び生まれることを繰り返す様。その舞台は、六道(あるいは五道)に数えられる迷いの境涯であり、業報の法則が支配する世界である。その世界を抜け出るには、覚りを得て仏陀となるしかないが、阿弥陀仏はもう一つの解脱の道を示されている。それが西方仏国土への往生(生まれ変わり)の道である。

 

【現代語訳】

阿弥陀仏の本願の力に乗じることが出来る場合に二つのパターンがあり、乗じない場合にも二つのパターンがあります。

まず乗じない場合の二つですが、その第一は、罪を犯すときには乗じることが出来ません。何故ならば、(罪を犯した際に)「このように罪を犯してしまえば、たとえ念仏を称えても往生は確かなものとはならない」と考えてしまうと(決して)乗じることがないからです。

その第二に覚りを求める求道心(菩提心)起こるときには乗じることが出来ません。何故ならば、「同じ念仏を称えるという行為であるが、今行っているように菩提心を持った上で申す念仏によってはじめて往生は叶うのである。(仮にこの大切な)菩提心がない場合には、念仏は叶わない」と(考えて)、菩提心を先に優先させて、仏の本願に重きを置かなければ乗じることが出来ないからです。

次に本願の力に乗じる場合の二つですが、まず第一に、罪を犯すときには乗じることが出来ます。何故ならば、「このように罪を犯してしまえば、間違いなく地獄(と呼ばれる悪しき境涯)に生まれ変わるだろう。しかしながら(罪を犯していながらでも、仏の)本願に誓われた名号を称えれば、必ず往生できるとは何と悦ばしいことか」と喜び勇む心を抱くときには乗じることが出来るからです。

その第二に、覚りを求める求道心(菩提心)起こるときには乗じることが出来ます。何故ならば、「(今起こしている)この菩提心によって往生することは叶わない。この程度の菩提心であれば久遠の昔より(輪廻を繰り返す中で)今のこの時点に至るまでに起こしてきたものであるが、(現に)未だに迷いの世界で生まれ変わりを繰り返す生存のあり方から解脱出来ていないではないか。だからこそ、菩提心を持つことが出来るか、出来ないかを問わず、犯した罪の軽さや重さを図らず、ただひたすらに本願に誓われた称名念仏を絶え間なく持続する力によってこそ、往生を遂げることが出来るのだ」と(心の底から)思うときに、(私ではない仏の)他力本願の力に乗じ、身を任せることが出来るからであります。

 

往生を遂げるには仏の本願に「乗じる」ことが必要です。そして本願に乗じるには、本願の力に対する信頼(信)をゆるぎないものとしたうえで、本願に約束された行である念仏を実践していくことが求められます。反対に本願を軽んじていれば、たとえ念仏を実践しても往生は叶わないと言われます。

阿弥陀仏が罪人であっても救済の対象となされることは『一紙小消息』の次の一節でも明白です。「罪人なりとても疑うべからず。罪根深きをも嫌らはじと宣えり(たとえ罪を犯す程の悪人であっても疑ってはならない。(彼の仏は)罪深い者であっても分け隔てはしない、と仰っているのだから)」。

さらに「本願に乗ずることは、信心の深きによるべし(本願に乗じるには、深く信ずる心を持てるかどうかにかかっている)」とも記されています。

「往生は、不定と思えば、やがて不定なり。一定と思えば、一定する事にて候ふなり(往生が確かなものではないと思えば、確かなものとはならない。ただしそれが確かなものであると思うことができれば、往生は定まるのである)」(『御消息』)

臨終時の来迎は平生に実践する念仏の功徳によって果たされます。念仏という行為が往生という実を結ぶ、それは他なる仏の本願の力によってに他なりません。往生には信の確立が肝要であると説くこの御法語は、浄土宗における「信」の重要性を端的に示すとともに、臨終を迎えるまでの平生における安心の在り様を示しているのではないでしょうか?

合掌