和尚のひとりごと「除夜の鐘

いよいよ年末も押し迫って参りました。皆さんは年末年始をどのように過ごされますか。そう尋ねられたとき、真っ先に思い浮かぶのは「除夜の鐘」ではないでしょうか?年が入れ替わる大晦日に除夜の鐘をつき、新たな気持ちで新年を迎える、これは私たち日本人にはまことに馴染み深い習慣です。
この「除夜の鐘」は、他の様々な仏教行事などと同様に、中国大陸から我が国に伝わりました。既に鎌倉時代には禅宗の寺院で鐘を鳴らす習慣が広まっています。外来、寺院における鳴らしものは、修行僧の生活を律し、時を知らせる重要な役割を担っていました。やがて全国の寺院に採用されるようになったこの習慣は、山のお寺で朝に夕に鳴らされる梵鐘の音として、どこか懐かしい風景でもあります。
ところで除夜の鐘は108回鳴らされるというのが一般的ですね。この「108」という数の由来には諸説ありますが、代表的なものが人間の持つ煩悩の数を数え上げたものである、というものです。煩悩の数だけ鐘を鳴らして、それが私たちを悩まさぬように祈り、清々たる心持ちで新年を迎えるというわけです。
ここで代表的な2つの説をご紹介致します。
そもそも「煩悩」とは「身心を煩わせ苦しめるもの」というのが原意で、苦しみを引き起こす原因となる心の作用を指しています。煩悩があるから私たちは苦しんでいる、その煩悩を滅していくこと、これが仏教の基本的な考え方です。お釈迦さまの時代にはそれほどでもなかったのですが、やがて時代を下ると煩悩の種類やあり方について詳細な分類がなされるようになりました。
まず1つ目の説は、人々を迷いに結びつけて話さぬようにする作用である98種(九十八随眠)、さらにここに心を縛り付けて仏道修行を妨げる作用である次の10種を加えて108とする考え方です。10種とは、恥じないことを示す
「無慚(むざん)・無愧(むき)」、妬みを示す「嫉(しつ)」、物惜しみを示す「慳(けん)」などを始めとして、悔(げ)・睡眠(すいめん)・掉挙(じょうこ)・惛沈(こんちん)・忿(ふん)・覆(ぶく)となります。
2つ目の説は、私たちが備える6つの感覚器官である「眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)」の六根がまずあり、それぞれが対象に対して感じる「好(こう、心地よい)・悪(あく、気持ち悪い)・平(へい、どちらでもない)」の3種を数えここで合計18種、さらにこの18種に「浄(じょう、きよらか)・染(せん、けがれている)」の2種があり合計36種、さらにこれを「前世(ぜんせ、過去世)・今世(こんぜ、今の生存)・来世(らいせ、請来の生存)の三世」に配当し合計108種となるというものです。
さてこの除夜の鐘の習慣が全国津々浦々にまで定着したのは、意外と新しいことだったと言われています。時は昭和2年(1927年)のこと、東京上野の寛永寺にてNHKのラジオ放送を通じて除夜の鐘の中継放送がされました。その後TV放送が始まると全国の『除夜の鐘』が撞かれる様子がお茶の間に中継されるようになり、皆さんもご存知の『ゆく年くる年』として定着するようになったというものです。
また意外に思われるかも知れませんが、仏教国タイで観光地として有名なワット・ポー(涅槃寺)では、小仏にコインを供えてゆき、最終的に108の全ての仏様に供えられたら悟りに近づけているというお参りが奨められています。
人は行きていく上では、悩み迷いながら、時には様々な煩悩を抱えざるを得ないのかも知れません。1年の締めくくりに私たちを苦しめる煩悩の消滅を祈り、清々たる気持ちで新年を迎えたいと思う次第であります。