Monthly Archives: 3月 2021

和尚のひとりごと「伝道掲示板296

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食作法の肇に唱える十の仏・菩薩の名号。
食膳に関わった全ての施主等の、災障の消滅、および福徳と智慧の増大を願うために唱えるもので、
初めに唱える次の句頭がそのことを示している。
”十方(じっぽう)(又は今日 こんにち)
施主災障消除(せしゅさいしょうしょうじょ) 福慧増長(ふくえぞうじょう)”

食前に十の仏名を唱えることは釈道安に遡るという。
道安は西晋から前秦にかけて(四世紀)の人。
初の経典目録の作成や釋性の創唱、またまだ格義仏教の影響が色濃い中で仏典に即した理解を勧め、
仏教教団の確立に大きな功績を残している。

和尚のひとりごと「伝道掲示板295

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”若(も)人、三世一切の仏を了知せんと欲しなば
応(まさ)に法界(ほっかい)の性(しょう)を観ずべし
一切唯心造なり、と。”

『八十華厳』より。
”この偈を受持すればよく地獄を破す”と伝えられた偈文。
我が宗では盆の棚経ならびに施餓鬼会にて唱えている。

和尚のひとりごと「伝道掲示板294

諸仏奉請の文

善導大師『法事讃』より。
諸仏を招き入れ、散華をもって供養する..
三奉請又は四奉請の代わりに唱えられるとされる他、三奉請に続き唱えるべきものともされる。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板293

歎仏偈_page001

『大智度論』より

天上天下に仏に比する存在はなく
あらゆる世界における全てのものもまた仏とは比べるべくもない
我、世間の全てを見尽くしたが
仏の如き存在はなかった..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板292

火葬の文

『舎利礼文』より。
火葬の際に唱える偈文。

仏のまことの舎利(仏舎利)は、仏の本体そのものであり
世界における仏塔(塔婆)として
私たちは敬礼するであろう..

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板291

土葬の文_page001

土葬の際に唱える偈文。

地獄道・餓鬼道・畜生道
苦しみに満ちたこの三途(三悪道)にある者どもであっても
阿弥陀仏の光明に照らされることで
苦悩はことごとく滅し、その者らにも休息がおとずれる..

 

合掌

和尚のひとりごとNo529「法然上人御法語後編第八」

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安心起行(あんじんきぎょう)
【原文】
それ、浄土に往生せんと欲(おも)わば、心(しん)と行(ぎょう)との二つ、相応(そうおう)すべきなり。かるが故に善導の釈に、「但(ただ)しその行のみあるは、行すなわち孤(ひとり)にして、また至る所なし。但(ただ)その願のみあるは、願すなわち虚(むな)しくして、また至る所なし。必ず願と行と相扶(あいたす)けて、為す所みな尅(こく)す」と云(い)えり。
およそ往生のみに限らず、聖道門(しょうどうもん)の得道(とくどう)を求めんにも心(しん)と行とを具(ぐ)すべしと云えり。発心(ほっしん)・修行(しゅぎょう)と名づくるこれなり。今この浄土宗(じょうどしゅう)に、善導のごときは、安心(あんじん)・起行(きぎょう)と名づけたり。
『往生大要抄』より
【語句の説明】
「但しその行のみあるは…」
善導大師『観経疏』

得道
仏道を歩んで悟りへと至ること。

発心
発菩提心に同じ。菩提心(覚りを目指す心)を起こすこと。修行の出発点。

安心・起行
安心(あんじん)・起行(きぎょう)・作業(さごう)は、浄土願生者の心構えと実践のあり方を表現している。「安心」とは往生を願う者が備えているべき三心(三つの誠の心)であり、「起行」とは五種正行を指し、「作業」は念仏実践上の四つの規範である四修を意味している。


【現代語訳】
そもそも、浄土に往生しようと願うならば、心と行の二つのつり合いが取れていることが求められます。それだからこそ、善導大師の解釈には「ただその行のみが行われているのであれば、行が孤立して、その行きつくべき先がない。ただ願いのみがあるのであれば、その願いそのものが虚しいものとなり、やはり行きつく先がない。願いと行いが互いに助け合うところに初めて、必ず目的がみな達成される」そのように仰っています。
これは浄土門に限らず、おしなべて聖道門において覚りを目指し仏道を歩まんとする際にも、心と行とはともに備えるべきであるとされています。いわゆる発心と修行とがこれです。今、私たちの浄土の教えにおいては、善導大師であれば安心と起行と名づけているものであります。

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板290

沐浴偈

水や湯を身体に浴びて、身体を洗う際に唱える偈文。
湯灌とはそれが転じて亡者の為に行う儀式となったものである。

かつて釈尊は、
”水を必要としない沐浴とは、恭敬と清らかな行いとである”と仰った。
あるいは、
もし人が沐浴によって悪業を洗い流すことが出来るのであれば
”鰐も、竜も、亀も、蛙も、そのほかの水中にもぐるものどもも
みな天界におもむくことができるであろう”
との言葉も残している。

大切なことは自らの心を見つめ、浄めること。
釈尊は6年間に及んだ苦行ののち、その無益さを知り、
尼蓮禅河(ナイランジャナ川)にて身を浄め、ピッパラ樹のもとで成道されたという。
覚りを開いた地、ブッダガヤにはかつて人類の師が沐浴を行った蓮池が残っている。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板289」

餓鬼回向文

上来、唱えた陀羅尼の善根功徳により一切の餓鬼の罪障が消滅し
苦を離れて楽を得、菩提心を起こして行を修し
生命終わる時には仏にまみえ
浄土に超生し、成仏せんことを念じて唱える。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板288」

奠茶の文

奠茶(てんさ)は茶を供えること。四事供養中の湯薬にあたる。
表葬式において奠茶師が茶を供養する際唱える。

合掌