Monthly Archives: 1月 2021

和尚のひとりごと「伝道掲示板227」

別回向⑥

(書き下し文)
寺門清寧し 道縁具足し 諸の障擬無く 浄業は増長せん

(意味)
修行の場である寺が静寂と安寧につつまれきよらかであり
(そこで)仏道の縁を結ぶことが出来て
(仏道を妨げる)諸々の障害も見たらず
(浄土往生の為の)きよらかな行い(である念仏)が大いに伸長しますように

清寧は清く静かで安らかに治まっていること
道縁は仏道の因縁。
浄業は浄らかな行い。浄土往生の行因である世(世俗の善根)・戒(持戒の善根)・行(出世間の善根)の三福、または浄土往生の業である念仏のこと。
障礙(障碍)は仏道修行もしくは悟りの障害となるものをそう呼ぶ。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板226」

別回向⑤

(書き下し文)
当寺開山上人 中興上人 歴代諸上人
法類法眷先亡諸上人等の普賢行願究竟円満ならん

(現代語訳)
当寺を開山した御上人、また中興した御上人、および歴代の諸上人
法類、法眷、先亡諸上人等が起こした衆生救済の為の普く勝れた菩薩行の誓いがゆるぎなく最上のもので完成されていますように。

普賢行願が究竟円満でありますように

法類は寺院または住職と法縁関係にある教師の呼称で、法脈の継承に関連する法縁関係をそのように呼ぶ。
法眷(法における眷属)は法(教え)を同じくする仲間、あるいは同じ師に学んだ仲間のこと。
先亡諸上人は既に故人となった諸々の上人(浄土宗教師)のこと。

普賢行願は広く大乗仏教の菩薩思想を象徴的に表す語句の一つで、『華厳経』入法界品に頻出する。原語はいくつか比定されるが、その中の一つである”Samanta-bhadra-caryā-praṇidhāna(サマンタ・バードラー・チャリヤー・プラニダーナ)”の意味は「普あまねく賢すぐれた実践の誓い」とのことである。
『無量寿経』第二二願においては、あえて仏となるのも間近となる一生補処(いっしょうふしょ)に赴かない立場を普賢行と呼んでいる。「一生補処」は悟りを目指す菩薩行の中で最高位で、今生の一回の生だけ迷いの生存に縛られている者という意味で、次の生において仏となる事が定まっているあり方。あえてこの立場の手前で留まるのは、衆生を救済せんが為である。この願を浄土宗では「一生補処願(いっしょうふしょがん)」と呼び、能化(出家に同じ、僧侶のこと)に対する別回向で唱えられている。

究竟円満は、絶対で最上かつ完成されているさまである。 

 

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板225」

別回向④

(書き下し文)
高祖光明善導大師 宗祖円光明照和順大師 二祖大紹正宗国師 三祖記主禅師 三国伝灯諸大列祖等の慈恩に酬い上(たてまつ)らん

(原文和訳)
高祖光明善導大師、宗祖円光明照和順大師、二祖大紹正宗国師、三祖記主禅師、及びインド・中国・日本の仏法が伝えられた三国の偉大なる祖師方の慈恩にむくい奉ります。

高祖光明善導大師は、唐代の長安にあって浄土の教えを広め、法然上人及び我が国の浄土思想に多大なる影響を与えた。浄土五祖の第三。

宗祖円光明照和順大師は浄土宗の開祖法然房源空(ほうねんぼうげんくう)上人のこと。諡(おくりな)として円光(えんこう)・東漸(とうぜん)・慧成(えじょう)・弘覚(こうかく)・慈教(じきょう)・明照(めいしょう)・和順(わじゅん)・法爾(ほうに)の八つの大師号があり、これらを全て読み上げることもある。

以上、善導大師と法然上人を「浄土二祖」と呼ぶ。
また「浄土五祖」」とは、法然上人が『選択集』において浄土宗の師資相承血脈を明らかにする中で挙げられた人師。中国において弥陀の教えを宣揚した曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導大師・懐感(えかん)禅師・少康(しょうこう)の五祖の総称。またそれに加えて中国・日本の浄土教における祖師として菩提流支(ぼだいるし)三蔵、さらにはインドの龍樹(りゅうじゅ)菩薩や天親(てんじん、世親 せしん)菩薩を挙げることもある。法然上人は道綽・善導流の師資相承の血脈譜の筆頭に流支三蔵を挙げており、龍樹・天親も浄土教の趣意を明かした私たちの教えにとって大切な論師である。

浄土五祖像(京都・二尊院蔵)

二祖大紹正宗国師は浄土宗の二祖。諱(いみな)は弁長、字(あざな)は弁阿、号は聖光房。鎮西上人、筑紫上人、善導寺上人。大紹正宗国師は滅後600年の文政10年(1827年)に仁孝天皇より贈られた諡号となる。現在の浄土宗につながる鎮西義の祖とされる。

三祖記主禅師は浄土宗三祖良忠(りょうちゅう)上人のこと。然阿弥陀仏略して然阿(ねんな)とも。主に東国に布教を行い、鎌倉光明寺を創建、西山義を始めとする異流に対して、二祖三代の相伝により鎮西義を確立した。その門下は六流をなしたという。

印度(天竺)、中国(震旦 しんたん)そして我が国日本の三国という表現は、インドより大陸のオアシス地帯を経て伝わった北伝の仏教を指している古来よりの表現。実際には日本仏教が朝鮮半島などの仏教の恩恵に与ること大であったことも忘れるべきではない。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板224」

日常勤行-3

 『無量寿経』下「五悪段」からの引用

(意味)
天下はすべてが穏やかであり、太陽や月は清らかで汚れなく、風や雨も時に相応しく、天災や疫病も起こりません。国土は豊かで、人々は安らかに過ごし、武器を用いるような争いもありません。〔人々は〕徳のあることが尊敬され、慈しみの心をおこして、礼儀と謙譲とを実践することに努め励むのであります。
                                                                                                                                              『浄土宗日常勤行式の総合的研究』より

仏ある国土を讃え、そのような世界の実現を祈念する内容であり、祖山声明の伽陀としても唱えられる。

合掌

和尚のひとりごと「伝道掲示板223」

日常勤行-1

(意味)
衆生済度のための大いなる哀れみに基づく誓願を立てた願い主である阿弥陀仏
私たちに浄土への往生を勧め励まして下さっている釈迦牟尼仏
念仏往生の真実を証明する東西南北上下の六方におわすガンジス河の砂粒にも譬えられるほど数多くの諸仏観音・勢至などの諸々の偉大なる菩薩
出自は異なれど極楽世界に入って皆同様に清らかとなっている方々
そして全ての仏法僧という宝の持つ広大な慈悲のご恩にむくいたてまつります

浄土宗の日常勤行で唱えられる別回向には特別な回向という意味があります。回向とは方向を転じて向かう事、つまり善い行いの功徳を他者に振り向ける行いを指します。別回向では御仏や祖師方のご恩に対して、あるいは先立たれた有縁の人々の菩提の増進(悟りへの道のりが迅速に進むこと)を願って回向が行われます。
そして私たちが勤める善い行いとは、外ならぬお念仏の事であります。法然上人も仰るようにお念仏には無上の功徳が備わり、その大いなる功徳を回向しているのです。
『地蔵菩薩本願経』によれば、追善供養による功徳の七分の一は祖師方やご先祖様が、残りの七分の六を我が身に戴けるそうです。
合掌

 





和尚のひとりごと「伝道掲示板222」

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諸悪莫作
衆善奉行
自浄其意
是諸仏教

諸々の悪をなすことなく
もろもろの善き行いを行ずること
そして自らのこころを浄めること
これが諸々の仏たちの教えである

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和尚のひとりごと「伝道掲示板221」

20210105

年くれぬ春来(く)べしとは思(おも)ひ寝(ね)にまさしく見えてかなふ初夢
一年の始まりの立春に西行法師は春の到来を夢見た
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和尚のひとりごと「伝道掲示板220」

20210104

御念仏は万徳が帰するところ
その最たるは本願力なり

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和尚のひとりごと「伝道掲示板219」

20210103

その一念に全てが込められるならば
仏の名号を称ることこそ最上なり

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和尚のひとりごと「祝聖文(しゅくしょうもん)」

皆さま、令和三年元旦、新年明けましておめでとうございます。
今回は、私たち浄土宗の寺院で、一年間の安泰を願ってお正月に勤められる法要である「修正会」(しゅしょうえ)にて唱えられる「祝聖文(しゅくしょうもん)」についてご紹介いたします。

「天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがっしょうみょう) 風雨以時(ふうういじ) 災厲不起(さいれいふき) 国豊民安(こくぶみんなん) 兵戈無用(ひょうがむゆう) 崇徳興仁(しゅうとくこうにん) 務修礼譲(むしゅらいじょう)」
『無量寿経』下「五悪段」より

その意味するところは次の通りです。
「天下は泰平となり、太陽も月も清らかに輝き、時節良く雨が降り風が吹き、災害や疫病も起こらない。国は豊かに栄え、民の暮らしは安らかとなり、武力を行使することもない。〔人々は〕他人の善いところを尊び、互いに思いやりながら、つとめて礼儀正しく振る舞い、また譲りあうのである。」
(『現代語訳 浄土三部経』より)

 

仏まします世界においては、世は安泰であり、天候も程よく、疫病・災害も起きない。人々は互いを尊重し、思いやりの心で接し、礼を失することもない。このような世の中の実現を願って唱えられる偈文であります。
ご存じのように、昨年は新型コロナウイルスの影響が、世界中のさまざまな境遇の人々の生活に及びました。そして人類の歴史上、私たちは常に自然界の危険にさらされ、様々な疫病の恐怖を克服して参りました。ここで改めてコロナ禍の一日も早い終息を願ってやみません。


さて今を去る事約60年ほど前、法然上人の750年大遠忌を迎えた昭和36年のこと、浄土宗の元祖法然上人に7番目の大師号が加諡宣下(かしせんげ)されました。それを「和順大師(わじゅんだいし)」といいます。これは当時の昭和天皇がこの「祝聖文」を典拠として贈ったものであり、我が国がまだ経済成長を遂げる前、戦争の記憶も冷めやらぬ中、皆が心より平和と人間らしい安穏たる暮らしを望んでいた中でのことでありました。そして浄土宗は平成15年には宗祖法然上人のご命日である毎月25日を「世界平和念仏の日」と定め、さらに5年後の平成20年には「浄土宗平和アピール」を宣言いたしました。


改めて皆さまの平穏なる暮らしの実現、ならびに一切の有情が安らかなる心にてお過ごし頂ける世の中とならんことを、玉圓寺一同、心より祈念致します。