和尚のひとりごと「伝道掲示板226」

別回向⑤

(書き下し文)
当寺開山上人 中興上人 歴代諸上人
法類法眷先亡諸上人等の普賢行願究竟円満ならん

(現代語訳)
当寺を開山した御上人、また中興した御上人、および歴代の諸上人
法類、法眷、先亡諸上人等が起こした衆生救済の為の普く勝れた菩薩行の誓いがゆるぎなく最上のもので完成されていますように。

普賢行願が究竟円満でありますように

法類は寺院または住職と法縁関係にある教師の呼称で、法脈の継承に関連する法縁関係をそのように呼ぶ。
法眷(法における眷属)は法(教え)を同じくする仲間、あるいは同じ師に学んだ仲間のこと。
先亡諸上人は既に故人となった諸々の上人(浄土宗教師)のこと。

普賢行願は広く大乗仏教の菩薩思想を象徴的に表す語句の一つで、『華厳経』入法界品に頻出する。原語はいくつか比定されるが、その中の一つである”Samanta-bhadra-caryā-praṇidhāna(サマンタ・バードラー・チャリヤー・プラニダーナ)”の意味は「普あまねく賢すぐれた実践の誓い」とのことである。
『無量寿経』第二二願においては、あえて仏となるのも間近となる一生補処(いっしょうふしょ)に赴かない立場を普賢行と呼んでいる。「一生補処」は悟りを目指す菩薩行の中で最高位で、今生の一回の生だけ迷いの生存に縛られている者という意味で、次の生において仏となる事が定まっているあり方。あえてこの立場の手前で留まるのは、衆生を救済せんが為である。この願を浄土宗では「一生補処願(いっしょうふしょがん)」と呼び、能化(出家に同じ、僧侶のこと)に対する別回向で唱えられている。

究竟円満は、絶対で最上かつ完成されているさまである。 

 

合掌