Monthly Archives: 11月 2020

和尚のひとりごと「伝道掲示板174」

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同じく『随聞記』にはこのようにもある。
“人々皆な仏法の器なり
かならず非器なりと思うことなかれ
依行せば必ず証を得べきなり”

正しき仏道を求め、それを自らの歩む道とした道元禅師のことば。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板173」

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いずれにしても
今も昔も
本来無一物に徹することは容易ではない..

風外慧薫は江戸期の曹洞宗僧侶。

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風外慧薫画「達磨図」

和尚のひとりごと「伝道掲示板172」

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“衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし、衆生近きを知らずして、遠く求るはかなさよ、縦令ば水の中に居て、渇を叫ぶがごとくなり、長者の家の子となりて、貧理に迷うに異ならず”

最後は
“当処即ち蓮華国、この身即ち仏なり”と結ばれる。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板171」

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“弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、偏へに親鸞一人がためなりけり”
弥陀の本願による救い、もっと言えば彼の仏の誓願自体が私のためのものである
そのことに気づくには師の言葉の如く
自身が愚鈍なる凡夫であること、救われ難き器であることを誠の心で見つめなければならない..

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唯円開基と伝えられる報佛寺の石碑

和尚のひとりごと「伝道掲示板170」

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最澄の遺誡として伝えられる。
仏道に揺るぎなく堅固な心
食うために修行するのか、修行する身を保つために食を得るのか..

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和尚のひとりごと「伝道掲示板169」

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“三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識(し)らず
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し”

迷いの生にある私たちは無明のただ中にあると釈尊は説いた。
無明(無知)こそが迷いを生み、生成流転の世界を現出する。
生の始まりは時間の起源であり、生の終りはこの世が幕を閉じる瞬間である。
自分自身のことさえ分かっていないことに気づかされる。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板168」

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次のように続く..
“擾擾(じょうじょう)たる四生、唯だ患(うれひ)にして楽しからず
牟尼の日久しく隠れ、慈尊の月未だ照さず、三災の危きに近づき、五濁の深きに没む。
加以(しかのみならず)、風命保ち難く露体消え易し”

いよいよ叡山に入ろうとする若き伝教大師の決意のことば。
菩薩の誓願がここにある。

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和尚のひとりごと「伝道掲示板167」

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菩提達磨から数えて六祖となる慧能禅師のことば。
師神秀曰く
「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し。時々に勤めて払拭(ほっしき)して、塵埃(じんあい)をして惹(ひ)かしむること勿かれ」
弟子慧能答えて云く
「菩提にもと樹なく、明鏡もまた台に非ず。本来無一物、何れの処にか塵埃をひかん」
『六祖壇経』

本来無一物が禅の境地
そして私たちの当たり前の本来の姿。

その捉われなき境地を蘇東坡はこう詠んだ。
“無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう) 花有り月有り楼台有り”

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和尚のひとりごと「伝道掲示板166」

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不識己有貧莫過此
空海『吽字義』

己を知る事こそが難しい。
誰もが自己の外ばかりを気に掛けるが
それは実のところ、自分自身を見ているに過ぎない
本当に問題にすべきこと
釈迦はそれのみを説き続けた。

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利剣持てる空海

和尚のひとりごとNo386「ちょっと不便でちょうどいい」

 携帯電話が普及し、街中では多くの人々が携帯電話を片手に話をしながら、或いはメールやラインを打っている姿をよく見かけます。電車内でも殆どの方が携帯電話を操作しています。電車内での通話は出来ないので、恐らく携帯電話内のコンテンツを利用したり、インターネットであらゆる情報を入手しているのだと思われます。携帯電話一つあれば、あらゆる情報を即座に入手する事が出来、どこに居ても様々な人たちと繋がる事が可能になりました。外出先で公衆電話を探し回るような事もなくなり、街中で電話ボックスを見かける事は殆どありません。2020jyuuitigatu


 携帯電話の無い時代には、友達の家に電話をする時も緊張したものです。友達が出るとは限らないからです。親、兄弟、電話を掛けた家に居る誰かが出るのです。誰が出ても良いように、「もしもし、私は〇〇ですが、△△さんのお宅でしょうか。︎︎さんは居られるでしょうか?」と話し出します。そのことで電話先の家族の方は、子供が誰と繋がっているのかを認識し、子供の友人関係を把握する事が出来ていました。しかし、今は携帯電話で直接特定の個人と繋がる事が出来ます。違う人が電話口に出る事は先ずありません。その事で親は子供が誰と繋がっているのかを把握しきれなくなってきているそうです。学校内の友達のみならず、インターネットを介して知り合った実際に会った事のない人や、行ったこともない所まで交友関係が広がっているからです。国内だけではなく、世界中の人々と繋がる事が出来るのは世界観が広がるので良い事でしょうが、直接相手を知らない分、事件につながる危険性もあります。


 お互いを理解し合うには何よりもコミュニケーションが大切です。電話でもコミュニケーションは取れますが、実際に会って話す事でお互いの人柄も理解し合え、信頼関係も築いていけるものです。「理解する」という事は、「お互いの距離を縮める」或いは、「相手の立場に立って考えられる事」を意味します。「理解する」を英語でunderstand(アンダースタンド)と言います。underは「〜の下に」と訳しますが、元々「〜の間」という意味があったそうです。Stand(スタンド)は「立つ」です。「相手の間に立つ」つまり「相手との距離を縮めます」というのが「理解する」という事です。


 便利な世の中になると、ついつい簡単に物事を済ませがちになります。実際に相手に会って、また日々の生活の中で粗末にしがちなコミニュケーションを大切に、相手の立場に立って考えられるように心がけていきたいものです。