和尚のひとりごと「伝道掲示板150」

 daiichi

”王法のために繋がるときにはすべからく祈るべし”つまり防げ、と『薬師経』にも書いてある。仏教は民衆の味方や。日本の仏教大衆化は形式だけだっせ。

さらに同書より引用する。
”泥まみれで大衆のなかに入ったとて、それがどうして仏教といえますか。釈尊は民衆をきれいな世界へみちびこうと考えた。そのとき、まず自らを清潔にして、大衆をその清らかさのうちへ入れてゆこうとされた。日本仏教はそうじゃない”

”論理的ということは…生きてゆく人間としての現実をふまえて、どうしたら最高価値の生活に生きてゆけるか、その方向を教え、向かわせるということです。人間は方向が分らんから迷い、苦しみ、バカなことをするのです
仏教は自己を知ることが第一です。その自己とは、自分の心をさす。人間の心がいかに醜い方向にばかり向いているか、悪い方へ頭をもたげているか、これを知って最高価値の方向へ向かう、これですわ”

gyouin-hashimoto

橋本凝胤師は元薬師寺元管主、法相宗管長。法隆寺の佐伯定胤に唯識を学び、戦前にはチベット語の経典を求めて数回にわたり大陸を遍歴。生涯肉食妻帯せず現代仏教のみならず平安以降の日本仏教を痛烈に批判。小野玄妙師と『大日本仏教全書』の完成に心血を注ぎ、『大正新脩大蔵経』編纂にも携わった。最大の聖地インドはブッダガヤの日本寺建立に尽力。