Monthly Archives: 8月 2020

和尚のひとりごと「伝道掲示板105

mokuren

是時目連母則於是日(ぜじもくれんぼそくおぜにち)
得脱一劫餓鬼之苦(とくだついっこうがきしく)

目連の母はその日をもって
一劫にも及んだ終わりの見えない飢えの苦しみから脱することを得た

5o5o0001roon034n9po0

仏説盂蘭盆経に説かれる目連救母の物語

和尚のひとりごと「伝道掲示板104

諸行無常 是生滅法

諸行無常(しょぎょうむじょう)
是生滅法(ぜしょうめっぽう)
生滅滅已(しょうめつめっき)
寂滅為楽(じゃくめついらく)

諸行無常は仏教の旗印、三法印に数えられるこの世の実相を表した言葉。
諸々の因縁によって仮に現れているこの世界
生じては滅し、また生じる
これらが静まる境地こそが安楽である。

雪山(ヒマラヤ山)で修行していた雪山童子(せっせんどうじ)は
この偈の前半を唱える羅刹の声を聞き
後半の句を聞きたいがために自らの身を食らわせる覚悟をする。
聞き終わったあと、崖の上から身を投じると羅刹はとたんにインドラ(帝釈天)に身を変じ、童子を抱きとめたという。
雪山童子は前世の釈尊であったと結ばれている。

d0034768_13541591

施身聞偈図(法隆寺に伝わる玉虫厨子)

和尚のひとりごと「伝道掲示板103

 SHICHIBUTSU

諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)
自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、──これが諸の仏の教えである。
(中村元師訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」より)

「七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)」として知られる仏教の教えの基本

和尚のひとりごと「伝道掲示板102

 hakkotsu_001

朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて
夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり

人間のはかなきことは老少不定(ろうしょうふじょう)のさかひなれば、誰(たれ)の人も早く後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏(あみだぶつ)を深く頼みまゐらせて、念仏申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
                                 「白骨の御文(おふみ)」より


浄土真宗本願寺八世となった蓮如上人は宗祖の教えを民衆にわかりやすく説くために数多くの御文章(ごぶんしょう)を残している。
人の命の儚さほど、無常を実感させてくれるものはないかも知れない。

P8230036

この御文が書かれた山科本願寺の蓮如上人御廟所

和尚のひとりごと「伝道掲示板101

 minna

宿無し興道(こうどう)とも呼ばれた傑僧 澤木興道老師のことば
出家とは家を出て社会のそして家庭のしがらみから離れて
広き野外にて道を求めること

澤木老師は明治生まれ、人力車の金具作りの家に生まれるがやがて一家は離散、その後博打うちの家に預けられるがあるきっかけで無常を実感
僧侶になりたいとの必死の思いで家出しやがて永平寺の門を叩く
生涯定住する寺も持たず、家庭も持たず、只管打座を貫いた

slider_©Huebner_2013aug_1215c1-669x272

澤木興道老師

和尚のひとりごと「伝道掲示板100

 yui

「唯識三年倶舎八年(ゆいしきさんねんくしゃはちねん)」


「桃栗三年柿八年」とは物事が実を結ぶには幾年(いくとせ)もの年月をを要すること
難解なる唯識を3年で大成する為には、基礎学としての倶舎を8年かけて学ばなければならない。
それが「唯識三年倶舎八年」
唯識は中観と並ぶ大乗仏教の一大潮流、倶舎は釈尊の教えに基づき仏教の世界観を記述した百科全書的な存在、ともにかつては僧侶の必須学問とされていた。

otakara

学問寺として名高かった斑鳩法隆寺

和尚のひとりごとNo308「盂蘭盆」

今回はお盆供養が最初に説かれた『仏説盂蘭盆経』に説かれている目連尊者のお話しをご紹介します。以前にも盂蘭盆(うらぼん)の語源についてサンスクリット語(古代より続くインドの聖典語)の「ウラバンナ」に基づくと記しましたが、その意味については諸説ありました。一つは「倒懸(逆さづり)」あるいは「ウルヴァン(霊魂)」また最近では「オーダナ(ご飯)」を乗せる盆のことであるとも説明されます。
「ウラバンナ」を逆さづりとすると、これは非常な苦しみを表現していると言えます。
『仏説盂蘭盆経』は、有名な仏弟子の目連尊者の母親が餓鬼の境遇で苦しんでいたのを救済する物語であり、別の経典では母親は地獄に堕ちてしまっていたとも言われています。
十大弟子の中でもとりたて神通力に優れていた目連尊者は、ある日、亡き母親の現在の境遇を知りたいと考え、その居場所を天眼(てんげん、優れた眼力)で探したところ、餓鬼界で飢えと渇きが癒されない苦しみを味わっているのを見つけました。目連尊者はその空腹を満たすため、食物を差し出そうとしますが、母親が食べようとするその瞬間にご飯は炭と化して食べることができません。
師である釈尊に相談するとこのように仰りました。
まずは目連尊者に、
七月十五日「僧自恣」(そうじし)の日に衆僧(修行僧たち)にご飯や食べ物、香油、燭台、敷物、寝具などを供えるように。
そして修行僧たちには、
施主の家のためを願い、七世の祖先の幸せを祈り、坐禅をして心を定めてから食するように。
これら十方の衆僧の力があり、目連尊者の母は救われたと記されています。
今でも夏のこの時期にお盆供養が行われるのは、このお話に基づいているのです。

 

和尚のひとりごと「伝道掲示板99

 tanjou

注釈にはこのようにある。
“これはニヒリズムではない
人生を「空」を背景にして大肯定する単独者の思考が、ここにある”
(三万年の死の教え 中沢新一)


チベットの伝承では生前に修業ができなかった者にとり
死を迎えたときこそ、解脱の最大のチャンスだという
僧侶は死にゆく者に歩むべき方角を指し示す

 Prayer-flag-in-Tsemo-castle-in-Leh-Ladakh-India-1024x577
小チベットと称されるラダックの風景

和尚のひとりごと「伝道掲示板98

ware

「我深く汝等(なんだち)を敬う、敢(あえ)て軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえん)は何(いか)ん、汝等皆菩薩の道(どう)を行じて、当(まさ)に作仏することを得べしと」
(常不軽菩薩 じょうふぎょうぼさつの言葉『妙法蓮華経』より)

礼拝の意味
それは自分より偉い者にひれ伏すことだけではない
目の前に現れるすべての存在がいずれは菩薩業を完成し仏となることを予感して、心から恭敬することである

この精神を受けた宮沢賢治はこう残している
雨ニモマケズ
風ニモマケズ…
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
(インターネットの図書館、青空文庫より)

img_9

柴又帝釈天の法華経説話彫刻より

和尚のひとりごと「伝道掲示板97

sangai

三界は安きこと無し、猶 (なお) 火宅の如 (ごと) し
「妙法蓮華経(蓮の大輪に例えられる妙なる法を説く経典)」譬喩品 (ひゆぼん)


三界は衆生が輪廻する欲界・色界・無色界のこと
火宅は煩悩や苦しみを燃え盛る炎に例えた娑婆世界のこと
そして衆生の中に確かに存する一縷の光明は仏性の顕れである