和尚のひとりごとNo171「光明徧照」

 

 一々の光明(こうみょう)、徧(あまね)く十方の世界を照らして、念仏の衆生(しゅじょう)を摂取(せっしゅ)して捨て給わず。

 19jyuugatuこれは、『観無量寿経』と言うお経に出てくる偈文です。「阿弥陀様の一つ一つの光明は、徧く十方の世界を照らし、念仏を称える衆生(命ある者)を救い取って、捨てる事がない」と言う意味です。今の我々の目には見る事が出来ない御仏様の御光ですが、いつでも、どこでも、誰にでもお照らしくださっているのです。ですから阿弥陀様の事を別の名で無量光佛(むりょうこうぶつ)とお呼びいたします。量り知れない御光をお照らしてくださっているからです。

 

刑場の露と果つべき身を惜しみ 虫になりても生きたしと思う(島秋人)

 これは昭和四十二年十一月二日、わずか三十三歳で処刑された死刑囚、島秋人(本名;中村覚)が獄中で詠んだ短歌です。彼は生まれつき病弱で学校にも通えず、周囲から罵倒され、貧しさゆえに非行と犯罪を繰り返し、飢えから農家に押し入り強盗殺人を犯し、遂に死刑囚となった青年でした。戦後の貧しさの中、非業な憂き目に遭わされ、罪人としたてあげられた父親と、結核に罹患し亡くなっていく母親という不運な境遇で育ちました。充分な愛情も温もりも知らずに育てられた環境の為、遂に死刑囚になるまで手を汚したと言われています。しかし獄中生活の中で、支えてくれる人々の愛情、心の温もりを感じ、犯してきた罪を悔い改めて過ごされました。その獄中で死刑前夜まで詠み続けた贖罪の歌が先程の短歌です。犯してきた罪を省みれば露の様に消え果てるべき身ではありますが、いざ我が命となると虫になってでも生きてながらえたいと願う生への執着が垣間見えます。しかしそれだけ真剣に人の命というものに向き合えたのでしょう。

 島青年は刑務所で教誨師の導きにより信仰の道に入りました。仏縁に出遇い、人として生きる事の意味、死刑囚であっても命の大切さを身に沁みて感じ、自らの行いを懺悔(さんげ)し、歌を創り続けたのだと思われます。今までは他人の命も自分の命も疎(おろそ)かにし、人生を虚しく捉えて罪を造っていたけれども、仏縁により命の尊さを知ったのです。青年は、「たとえ私が娑婆で百年生きたとしても、仏様の教えに遇う事がなかったならば、それは空しい一生であったでありましょう。しかし短い一生であっても仏法に遇わせていただいた事によって、人生に光明を得た事は何よりの幸せでありました。」と言葉を遺されました。

 どの様な境遇の者でも阿弥陀様は絶対に見捨てません。仏様の御光によって必ず救われて参ります。共々に阿弥陀様に思いを寄せてお念仏申して過ごして参りましょう。