和尚のひとりごとNo138「曇り夜も月は輝いている」

 月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ

 10gatuこの和歌は法然上人の詠まれた「月かげ」の御詠歌です。月の光は全てのものを照らし、村里に住む人々に隈無く降り注いでいるけれども、月を眺める人にだけその月の美しさは分かるものです。阿弥陀様の御慈悲の御心は、全ての人々に平等に注がれているけれども、手を合わせて「南無阿弥陀佛」とお念仏を称える人のみが阿弥陀様の御救いを蒙る事が出来るのですという意味であります。

 

 「月かげ」は『観無量寿経』の一節、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の御心をお示しくださった御歌です。仏様の御光(光明)は、遍く十方の世界をお照らしくださり、念仏を称える衆生(私たち)を救い取って捨て去る事がないというのが、そのお経の意味であり、その譬えが「月かげ」の御詠歌になります。月は雲に隠れてしまう時もありますが、曇り夜であっても月は輝いています。阿弥陀様もたとえ眼前に見えなくとも、いつでも念仏申す者を見護ってくださっているのです。

 

 昔、京の都、徳大寺に唯蓮房という僧侶が住んで居られました。唯蓮房はお経に説かれる阿弥陀様のお救い、「摂取」について「一体どの様なお救いであろうか」と疑問に思われました。そこで雲居寺(うんごじ)というお寺に参籠され、「摂取の意味を教えていただきたい」と御本尊の阿弥陀様の御前に於いて七日間の不断念仏を修めていかれました。日中夜、休むことなく「南無阿弥陀佛」とお念仏を申していく修行が不断念仏です。すると七日目の満願の夜の夢の中に阿弥陀様が現れなさって、唯蓮房の手をしっかりと握りしめ、「唯蓮房、唯蓮房、摂取是なり」と示されました。その後、唯蓮房は高野の念仏聖と言われていた明遍僧都を訪ねられ、夢の虚実を尋ねたところ、明遍僧都は涙を浮かべ「私にも同じ様な事が御座いました。実夢、正夢でありましょう」と共に手を取り喜ばれたそうです。(『選択集弘決疑鈔』良忠上人著)

 阿弥陀様は、御慈悲の御光をいつでも、どこでも、どこまでもお照らしくださっており、常に私たちを見護ってくださっています。そして南無阿弥陀佛とお念仏をお称えしたならば、どの様な生き方をした人間であろうとも最期臨終の夕べには念仏申す者の手をしっかりと握りしめ、西方極楽浄土に救い取ってくださるのであります。

 

 あみだぶと よべば答えて 御佛は 枕の上に あらわれにけり(福田行誡)

 

 福田行誡(ふくだぎょうかい)上人は江戸幕末から明治期に活躍された浄土宗僧侶で、知恩院第76世御門主猊下になられたお方です。神仏分離令、廃仏毀釈といった明治期の仏教危機の難局に立ち向かい、仏教指導者として舵をとられた泰斗であります。行誡上人の威容を誇った行動は、常に阿弥陀様に思いを寄せて念仏申して居られたからでありましょう。

 常平生はいつも阿弥陀様が見護ってくださっている。そして最後臨終の夕べには間違いなくお迎えに来てくださる。その有難さを共々に喜び、日々お念仏申して参りましょう。