和尚のひとりごとNo129「心の弦 張り過ぎず ゆる過ぎず」

 

5月 梅と塩で「あんばい」と読みます。程度、具合、加減の事で、本来は「えんばい」と読み、塩と梅酢を合わせた調味料の事でした。その味加減の丁度良い物を「えんばい」と呼んだそうです。また「按排(あんばい)」という言葉もあり、上手く処置する事や、具合の良い事を意味し、「塩梅(えんばい)」と「按排(あんばい)」の意味が良い具合にするという点で似ていた為、「塩」と「梅」の「えんばい」も「あんばい」と読まれるようになったそうです。お風呂に入って丁度良い湯加減の時に、「良い塩梅」と言いますが、熱くなし、ぬるくなしが「良い塩梅」であります。

 お釈迦様の弟子にソーナという大層真面目で熱心な修行僧が居られました。毎日毎日、朝から晩まで一生懸命に修行を積む弟子でありましたが、いくら修行を積んでもなかなか悩み、苦しみを断ち切れない。それどころか次から次へと欲望が込み上げてくる。少しも心安らぐ事がないと嘆かれていたそうです。もう諦めて、修行を辞めてしまおうかと思い詰めていた時、お釈迦様はソーナに声をかけられました。

「ソーナよ、琴はどの様に弾けば良い音が出るであろうか。良い音で響くであろうか。琴の弦を強く張り過ぎれば、音は詰まって響かない。それどころか強く弾きすぎると弦が切れてしまう。だからと言って弦が緩すぎては振動する事もなく音も出ない。張り過ぎず、ゆる過ぎず、丁度良い加減の時に良い音が生まれるものです。真面目に熱心に修行する事は大切ですが、適度の余裕、心のゆとりも忘れてはなりませんよ」と申されました。

 浄土宗をお開き下さった法然上人は一日に六万遍、七万遍ものお念仏を申され続けたそうです。我々にはなかなか修める事の出来ない数であります。しかし或る人が法然上人に、「お念仏を申している時に眠たくなって、ついついお念仏のお勤めを怠ってしまいます。こんな時はどうやって、この妨げを除けばよいのでしょうか」とお尋ね申したところ、「目が覚めた時にお念仏を申されたら良いでしょう」とお答えになられたと言います。大層尊い事であります。我々には無理せず、唱え続け易い仕方を御教導くださいました法然上人であります。

 ソーナの様な加減の過ぎた修行ではなかなか続かないものであります。一日に六万遍ものお念仏はなかなか修められない我々であります。何事も張り過ぎず、ゆる過ぎず、良い塩梅が勤め易いものです。お念仏も日々の生活におきましても、無理せず良い塩梅を心がけ、日々穏やかに過ごして参りましょう。